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ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

「それでも ボクは やってない」を観て

2007-02-01 21:55:21 | 日々の出来事
 今日はいまラインアップされている映画の中で、これは観たいと思っていた「それでもボクはやってない」を観てきました。しかも、今日は映画の日 1日サービスで1,000円でした。ギリギリに飛び込んだ割にはいい席でラッキー(^_^)v

 映画の感想の前に当地シネコンデビューでした。全館指定。長野の映画館は平日ならばいつでもどこでも大抵ガラガラ。ちょっと寂しいけれど、一人でゆっくりするには椅子が硬いのを我慢すれば、別にシネコンでなくても良かった。でも行った人に言わせると快適な所だと、シネコンに行ったら他には行けなくなるよと。シネコンに大感激ではなかったけれど、全館指定でもう予告が始まったときに飛び込んだ身ではうろうろしないで案内してもらえたのは嬉しかったかも。何よりも「それでもボクはやってない」が他の映画館でやっていなかった(;一_一)

 さて、映画に対する予備知識は周防監督の「Shall we ダンス」以来の作品であることと痴漢冤罪を取り上げたものであることだけ。オープニング『十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜(むこ)を罰するなかれ』…無辜…初めてであった言葉だが、きっと無罪の人かなと思ったけれど、忘れちゃぁならないと必死で覚えた。

 主人公テッペイは満員電車の中で痴漢に間違えられて掴まる。「やっていない」と何回言おうと、それは駅員にも刑事にも、検事にも取り合ってもらえない。むしろやってもいないことをやったという方が、略式起訴になって罰金で済むらしい。これは以前本当にあった痴漢冤罪事件で無罪を獲得するまでを闘った方の報道を見て知っていた。痴漢事件で無実を証明するのがいかに困難なことかとそのときに始めて知った。周防監督もどうもその事件報道をきっかけにこの映画の企画を考えたようだが、「やっていない」と容疑を否認し続けると、こんな風に留置場に拘留され、起訴され、裁判にまで行ってしまうのだというあたり、本当にリアルで、裁判に入ってもなかなかテッペイが無罪だと立証できず、判決にいたる。裁判官が判決主文を読み上げている間にテッペイのモノローグがはいる。

 「裁判は、罪を犯したか犯さなかったかで有罪か無罪を決めるのではない。‥それでもボクが無実であることを知っているのはボクだけだ。今ボクがはっきり言えるのは、裁判官が下した有罪判決が間違っているということ‥」(チャンと覚えている訳ではないので,間違っていたらごめんなさい。ニュアンスはこんな風)

 『疑わしきは罰せず』というのが、人が人を裁く鉄則かと思っていたのですが、どうも違うらしい。罪を容認した被疑者に有罪判決が下されるのは99.9%だとか、容認した人が無罪になるのは0.1%ということですね。無罪を主張した人に無罪判決が下りるのは100人に3人…!!と具体的な数字が出てきて、それは企画を暖めた監督・脚本は映画とはいえ、現実を映しているのだと思う。疑わしいだけで、有罪にされてしまう日本の裁判の在り方が現実だとしたら、それは、それは、本当に怖いことが起きているのだなぁとおもう。裁判員制度はいつからだっけ、大丈夫かいな、と思う。

 今日のところ、感想はここまで。良かったですよ。観終わって、いろんな人に紹介したくなりました。2時間は一気でした。いろんなことを考えさせられるけれど嫌な疲れは残っていない。パンフをあまり買わない事にしているけれど、もう少し周防監督の製作意図も読んでみたくなったし、見落としているところもあるだろうから確認したかったし買って来た。でもこのブログを書くに当たっては読むのをやめた。今、観終わった、感覚を大切にしたいと思ったので。

 時間がある方は、ぜひ観てください。脈絡なく見ている映画の中で一番のお勧めかも。