なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

明日は寒の入り 「冬将軍」到来

2017年01月04日 19時19分21秒 | ブログ

明日は寒の入り 「冬将軍」到来

2017年1月4日 16時37分

 
 
暖かさは今日(4日)まで。明日(5日)は二十四節気の「小寒」で寒の入りです。暦通りに、明日からは冬の厳しい寒さが戻ってくるでしょう。
 

◆明日から冬将軍

元日から太平洋側を中心に晴れて、暖かな日が続きました。今日(4日)も関東から西は最高気温が3月並みの所が多く、昼間はポカポカ陽気でした。でも、この暖かさも今日まで。

今夜からは日本列島に次第に寒気が流れ込むでしょう。明日(5日)は冬型の気圧配置になり、平地でも降れば雪となるような寒気が関東付近まで南下するでしょう。北海道と東北の日本海側、北陸は雪や雨が降る見込みです。山陰も雲が多く、雨や雪の降る所がありそうです。太平洋側の各地は晴れますが、北風の冷たい一日になるでしょう。日中も気温の上がり方は鈍くなり、最高気温は関東や東海、近畿でも10度くらいと今日より4度ほど低くなる見込みです。北風がやや強まるので体感的にはひと桁の気温に感じられる所が多くなりそうです。
 

◆3連休は冷たい雨や雪

6日(金)は日本海側の雪は弱まりますが、寒気が居座るため、寒さが厳しいでしょう。最高気温は北海道は広く氷点下、東北も5度以下の所が多くなりそうです。日差しがたっぷりの東京も8度までしか上がらず、真冬の寒さとなるでしょう。

7日(土)は西から天気は下り坂に。8日(日)は沖縄や九州から東北南部にかけて広く天気が崩れるでしょう。現在の予想では、平地は雨の降る所が多い見込みですが、関東甲信の内陸部や東北南部では雪が降る可能性もあります。低気圧の進路や発達具合によって、雪の範囲が広がる恐れもありますので、最新の気象情報にご注意下さい。9日(成人の日)も関東甲信では雨や雪が残りそうです。3連休は冷たい雨や雪で、日中も傘を持つ手がかじかむような寒さの所が多くなるでしょう。

明日は二十四節気の「小寒」で、「寒の入り」です。暦通りに、明日から冬の厳しい寒さとなりそうです。今日までの暖かさに油断せず、明日からはマフラーや手袋なども使って、万全な寒さ対策をしてお過ごし下さい。
 

今夜ピーク しぶんぎ座流星群 天気は

2017年01月04日 11時23分52秒 | ブログ

今夜ピーク しぶんぎ座流星群 天気は

2017年1月3日 16時34分

 
 
三大流星群の一つ「しぶんぎ座流星群」が、今夜、極大を迎えます。月明かりの影響はなく、多ければ1時間に35個の流れ星が見られるかも。夜の天気は、関東から西では広く晴れそう。暖かくして夜空を見上げてみて。
 

「しぶんぎ座流星群」とは

「ペルセウス座流星群(8月)」「ふたご座流星群(12月)」とともに、『三大流星群』と呼ばれている「しぶんぎ座流星群」。今年の「しぶんぎ座流星群」の極大(流星群が最も活発に活動すること)は、今夜、1月3日23時頃です。観察に適した時間帯は、4日未明の2~3時間で、月明かりの影響もありません。流れ星の数は年によって違いますが、空の暗い場所なら、1時間に最大で35個程度と予想されています。今年、最初の運試しとして、流れ星をみたいものですね。
 

流れ星を見る ポイント

①照明が少なく、できるだけ「空が暗い所」を選ぶ。
街灯や家の明かりなどは、流れ星の光を邪魔してしまいます。明るい所だと、空を見上げても、せっかくの流れ星の光を見つけにくくなってしまうので、できるだけ空が暗い所を選んでください。

②できるだけ「空が広く見渡せる所」を選ぶ。
「しぶんぎ座流星群」の放射点(流星群が流れてくる空の1点)は、北東の空ですが、空全体を、より広く見渡している方が、より多くの流れ星を見られる可能性が高くなります。建物などに邪魔されないよう、できるだけ空が広く見渡せる所を選んでください。

③目を暗さに慣らす。
明るい室内から、急に、暗い夜空を見ても、目が暗さに慣れていません。せっかくの流れ星を、ちゃんと見られるよう、目が暗さに慣れるまで、しばらくは外で待つのがおススメです。
 

気になる 今夜の天気は

そして「しぶんぎ座流星群」を見るには、何よりも天気が重要。今夜の星空指数をみてみますと…
 
【沖縄、九州~関東】
晴れる所が多く、流れ星を見るには、条件の良い所が多いでしょう。特に、太平洋側ほど、スッキリと晴れるので、夜空を見上げるのに、おススメです。

【北陸、東北、北海道】
雲が広がりやすく、流れ星を見るには、いま一つの所が多いでしょう。雪や雨の降る所もありそうです。ただ、場所によっては、雲の切れ間から星が見られる時間もありそうですので、夜空を見上げてみては、いかがでしょうか。

今夜の気温は、お正月としては高めの所が多くなりますが、全国的に北風が冷たそうです。さらに、目を暗さに慣らすなど、長い時間、外にいると、体が冷えてしまう恐れもあります。「年初めの流星群」を楽しむ方は、風邪をひかないよう、暖かくしてくださいね。
 

ホントは何でもありなんです!? 神社の作法今昔

2017年01月04日 11時20分09秒 | ブログ

ホントは何でもありなんです!? 神社の作法今昔


年が明けて最初のイベントといえば初詣。全国の有名寺社には毎年正月三が日に200万人、300万人もの多くの参拝者がつめかけ、ごった返すのが恒例ですね。
そして、お参りの際に問題になるのが参拝作法。手水に始まる作法は神社仏閣どちらもほぼ同じなのですが、唯一違いが出るのが拝殿を前にしての拝礼。「寺では合掌のみ、神社は二礼二拍手一礼」というもの。でもこれ、古くから続く伝統なのかというとそうでもなく、近代に入りさまざまな紆余曲折を経て比較的近年に定着したものなのです。
 

複雑?煩雑?神社の拝礼法はユニークすぎる

初詣で多くの日本人が寺社にお参りするこの時期。行きなれている人ならともかく、初詣くらいしか行かないよ、という人がけっこう迷うのが「お寺と神社の違い」ではないでしょうか。
皆さんも「お寺では参拝のときに静かに合掌のみ。神社では深く二礼をしてから二回拍手(かしわで)を打ち、願い事をしてから最後に一礼」という違いをご存知でしょうし、そういう話を耳にすることもよくあるでしょう。
でも、どうしてそんな違いがあるんだろう、と思ったことがありませんか?
特に、キリスト教の拝礼などと同様にシンプルに両手を合わせる仏教式はともかく、神社式の拝礼は手順もちょっとややこしいですよね。
また「二回おじぎをして二回拍手、一礼(再拝二拍手一拝といいます)」というポピュラーな作法についても、「いや、拍手をする習慣は宮中にはないので拍手をしてはいけない」とか「男性はいいが女性は拍手をするものではない」とか、「一般神社は再拝二拍手一拝だが、出雲大社と宇佐神宮と弥彦神社は再拝四拍手一拝なのだ」とか、「伊勢神宮は四拝(または八拝)八拍手(八開手・やひらで)一拝だ」とか、「いや、本来古い祭祀を司ってきた白川神道の正しい所作は三拝三拍手一拝で、それが正しいのだ」とか、さまざまな異説、ときに「間違いだ」という指摘があったりして、「一体どうしたらいいの?」と迷ってしまいます。
普段は静かな境内も、この日ばかりは大賑わい

普段は静かな境内も、この日ばかりは大賑わい

 

かつては神仏混淆!寺と神社の区別は無かった

ところで「寺社」と書いたように、初詣と言うと「寺」=仏教寺院、「社」=神社のどちらかを指し、キリスト教やイスラム教など他の宗教の寺院・礼拝所に赴くことはいいません。これは、仏教と神道だけを贔屓している、というわけではなく、その成り立ちに理由があります。
初詣という風習の始まりは、氏子の代表が大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る「年籠り」(としこもり、としごもり)が起源ですが、これが江戸時代末期ごろから元日の氏神や恵方参りへと変化していきました。江戸時代、神社仏閣というのは一体のものでした。起源は古く六世紀の宇佐神宮の神宮寺創建に遡り、春日大社と興福寺のセットは有名ですし、かつては伊勢神宮の中にも神宮寺がありました。
神仏混淆する中で、近接する神社と寺は、神社が寺の鎮守「明神」となり、仏が「権現」として日本の神の姿をとる、という信仰を形成してもちつもたれつの共依存関係で地域共同体や国家を守護する役割を担うようになっていきました。
ですから、お寺は合掌だけ、神社は手を叩く、というような区別は江戸時代まではなかったし、一般人、庶民は自由な形で神仏に参り、我流で勝手に祈っていたのです。
ところが徳川幕府が大政奉還、発足した明治政府が慶応4年に発布した太政官布告・神仏分離令により、神社施設からの寺院や仏像のご神体、鰐口・梵鐘などの仏具、仏教関連の施設・建造物は排除されてしまいました。「八幡大菩薩」「妙見大菩薩」「熊野権現」「牛頭大王」などの仏教風の神号(神の名前)も禁令となりました。突然寺院と神社が厳しく分離され、別物ということになったのです。
神社もお寺も区別がなかった?

神社もお寺も区別がなかった?

 

王政復古の大号令による日本宗教界の大激動

明治初期の王政復古の大号令のもと、多くの寺院が神社に「鞍替え」もしました。多武峰妙楽寺は談山神社に、讃岐の象頭山松尾寺は金比羅宮に、金亀山与願寺は江ノ島弁天神社に、といった具合です。そればかりか、法隆寺も高野山も、それぞれ聖徳神社、弘法神社という神社になりかけたのです。
明治政府は、大宝律令以来の神祇官制度を復活させ、全国の神社を神祇官(のちに教部省)のもとに統一させました。神社は全て国家の宗祀とされ、仏教宗派も含めた「大教院」が組織されました。しかし、仏教宗派の相次ぐ離脱で明治8年には早々に解散してしまいます。
神道系の神官・神社・教派はこの頃、大国主命の扱いを巡り大論争と対立(祭神論争)が勃発、これによりいわゆる神社神道と教派神道が分離分裂、この両派をもって国家神道体制が出来上がりました。
神社神道の指導組織「神道事務局」は各神社が独自におこなっていた儀式所作も統一することとしました。
明治8年の式部寮による「神社祭式」ではただ「再拝拍手」とのみ記され、当時内務卿の伊藤博文は「一揖(いちゆう・浅い礼)再拝二拍手一揖」を正式な作法とし、概ね現代の形に近いものが推奨されてはいたようです。
これが、明治40年の改訂を経て、戦争に全国民が巻き込まれていく昭和17年の「神社祭式行事作法」での改訂では宮中の作法に倣い、拍手が禁止されてしまいます。再拝にはじまり再拝で終える作法となりました。
そして終戦後、昭和23年、再び「神社祭式行事作法」が改正され、このときに祝詞奏上の作法は現行の「再拝→祝詞奏上→再拝→二拍手→一拝」のかたちにようやく定められました。
現在、神社が一般参拝者へ説明・指導している「二拝二拍手一拝」という作法は、この昭和23年の神社祭式行事作法に基づく、新しいものなのです。
また、先述したようなさまざまな拝礼法の説があるのは、神社神道に属さず独立して宗教教団となっていた教派神道の神道十三派(黒住教・出雲大社教・扶桑教・御嶽教・金光教・天理教など)は独自の拝礼法を護持・推奨していたために、さまざまな神拝作法が存在するわけです。

とはいえ、以上述べてきた変遷はあくまで神職の作法であり、一般人に対するものはありません。基本的には一般人は実は格式ばらず、江戸時代以来の自由な参拝の仕方で一向にかまわないのです。
拝み方もそれぞれ

拝み方もそれぞれ

 

じゃあ、二礼二拍手しなくていいの?

拍手の起源を見ると魏志倭人伝には倭(古代日本)の風習として「見大人所敬 但搏手以當脆拝」と記され、貴人に対し跪拝礼ではなく手を打って敬っていたとされています。
奈良時代には、持統天皇の即位の折、人々が手を打ち祝福した、という記述があります。

皇后、即天皇位す。公卿百寮、羅列りて匝く拜みたてまつりて、手拍つ。(日本書紀巻第三十・高天原広野姫天皇 持統天皇 四年春正月戊寅朔)

このように、古くより日本独自の拝礼作法として、神様や貴人を敬い拝む時に拍手が用いられました。平安時代から大陸との交流による影響で、宮中ではこの作法は行わなくなり、ただ二拝のみをするようになったことが文献からあきらかですが、神前の儀式では変わらず拍手が用いられてきました。
普段の生活での挨拶は普通は一回です。しかし同じ所作を繰り返すことにより、現実を超越した神様との交感の場を簡易的に生み出す呪術的な手法。祈りのスイッチを入れる所作であるともいえます。
自分にとってもっともしっくり来る作法を取ってかまいませんし、その神社が推奨する作法に従うのが安心だと感じるのなら、こだわりなく従うのもいいでしょう。ふざけているのでなければ間違えたからと言って罰が当たるというものでもありません。
神様への畏敬の気持ちがあるのなら、江戸以前の自己流作法の参拝もあり。堅苦しく考えず、気軽に神社を訪ねましょう。
ただ、お寺であれ神社であれ、聖域に入る前に手水舎で俗世の穢れををすすぎ落すことは是非欠かさずに。こればかりは神仏に対する最低限の礼儀となります。

参考文献・
神道の成立(高取正男・平凡社ライブラリー)
古神道は甦る(菅田正昭・橘出版)
神道の本(学研)
参拝前には手水舎へ

参拝前には手水舎へ