ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

本日娑婆に舞い戻りました

2013年04月25日 16時53分30秒 | ペタンク爺さんの一日
手術してから丁度ひと月後に退院出来る、入院時聞いていた平均の入院日数だったことが判る、外科で悪い所を取ってしまったからそれで終わりではない、その後ホローで再発を防ぐため抗がん剤治療が始っている、患者の個人差もあるので手術後の、治療内容や治療テンポも変わってくる。
私の場合は、手術後間もなく抗がん剤治療が始まった、途端にいくつかの副作用か現われて苦しんだ最後は体がアレルギー体質になり体中湿疹が出てしまい、抗がん剤治療は其処で中断し湿疹治療に当った、今は間もなく終息すると思っているがその治療薬を飲み続けている。
5月に入って間もなく抗がん剤治療が再開される、入院時の患者の抵抗力を見て薬の量を減らして始めるとのことで、この程度なら外来で処置出来るとの判断で今日の隊員に繋がっている。
癌患者の宿命で抗がん剤治療は避けられない処置になっている、40数年も前に母親が子宮がんで北大で放射線治療をやっていたことを鮮明に覚えている、副作用で苦しんでいた姿は悲しかった。
それでも、7年間命が繋がり孫(私の長男)の顔を見て逝った、たった一つ親孝行ができたかなと思う。

今日から、本格的にと云っても体力との相談でテレビのらくらく園芸の河村さんを先生に2013年の園芸士が再開された、公園の真ん中にはまだ雪が残っている、雪割する力は無いので自然に任す、一回り花壇を覗いて周る地温が低いので植物の成長が遅い、花作りは此れから、ヒャシンスの紫と白の蕾を切り取ってくる、間もなく男の節句がやってくる留守居役をやってくれた武者人形に花を添える。
亡妻が嫁入り道具として持参したもので、父親の形見とも云っていた。
出来れば孫に引き継ぎたいと思っている。

今日は花壇一回りだけ