むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

63番、左京大夫道雅

2023年06月03日 08時51分34秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな>


(今はもう
あなたのことを
ぼくは思いきります
ぼくたちの恋は
禁じられた恋でした
ただ それをせめて
最後にあなたにお目にかかって
直接お伝えしたいのです
人づてではなく
ぼくの口からいいたいのです
あきらめましょうと
あきらめきれぬぼくらの恋を)






・『後拾遺集』巻十三・恋の部。

「伊勢の斎宮わたりより
まかり上りて侍りける人に
忍びて通ひける事をおほやけもきこしめして
守り女などつけさせ給ひて
忍びにも通はずになりにければ
よみ侍りける」


この歌は、
百人一首中でも屈指の秀歌ではないかと思う。

道雅は歌人ではない。
ごく普通の男である。

それが悲恋に苦しんで、
こんなすばらしい歌を残した。

まことに、人の真情は千年のちも人の心を打つ。

三条天皇が、
その政治的立場と健康上の理由から譲位されたのは、
長和五年(1016)の一月。

御代替りとなれば、
伊勢の斎宮もお代わりになる。

前斎宮は三条天皇と成子皇后との間に生まれられた、
女一の宮、当子内親王であった。

十歳で斎宮となられて、
神に仕え、清い暮らしを送られること五年、
斎宮の任を解かれて帰京された内親王は、
匂やかな美少女に成人されていた。

上皇となられた三条院も皇后も、
なみなみならず、
この姫宮をいとおしくお思いになっていた。

その翌年の春ごろから、
不思議な噂が都に立ってしまった。

この花のような十六歳の姫宮に、
三位の中将・道雅が通っているという。

藤原道雅は、中の関白家の嫡男であるが、
父の伊周(これちか)が失脚してから、
政治生命を断たれている。

道長一族(伊周の父、道隆は道長の長兄)が、
権威をふるっている世の中では、
どんなにしても芽の出ない運命にある青年だった。

いったい、皇女というのは原則として、
独身で生涯を終えられることになっている。

『源氏物語』の落葉の宮も、
不幸な結婚だったのを、

(内親王だから独身でいらっしゃればよかったのに)
と母君が嘆いている。

もしそうでなければ、
天皇が適当な相手を選んで、
降嫁せしめられることになっている。

決してほしいままな行動は、
お出来になれない。

自由恋愛など以てのほかである。

世上に広まった噂に、
皇后はご心配になり、
ついに三条院のお耳にも入ってしまった。

いとしんでおられた内親王のこととて、
院はたいそう立腹されて、
内親王のおそばに監視の人間をおつけになって、
恋人たちの仲をお裂きになった。

青年・道雅は、
忍んで逢うこともままならぬようになってしまった。

世間は、この噂でもちきりになった。
中には同情する人もいて、

(斎宮が現役でいらしたら、
神に仕える清浄な斎宮が恋をしたというのは、
賛成出来ないが、
この内親王はもう斎宮を下りられて、
ただの姫宮なのだし、
はばからねばならないことはあるまい、
結婚されても苦しくないんじゃないか)

という人もあった。

しかし父院のお怒りは解けず、
皇后もご兄弟の宮々もお苦しみであった。

道雅も苦しんだ。
もうどんなにしても高貴な恋人に、
近づくことはできない。

恋にやつれ思い乱れ、
彼は風の便りにことづけて、
わずかに姫宮に歌を贈った。

<さかき葉の ゆふしでかげの そのかみに
押し返しても 似たる頃かな>

(あなたがそのかみ、
神に仕えていられたころ
榊の葉の木綿四手(ゆうしで)で
清らかに守られて俗人は近づけなかったように
いまのあなたもやっぱり
近づけないのですね)

<陸奥の 緒絶えの橋や これならむ
踏みみ踏まずみ 心惑はす>

(陸奥の緒絶えの橋というのはこれなのか
踏み渡ったり踏み渡らなかったり
文を頂いたり頂けなかったり
思い乱れています)

青年はこの歌を、
ひそかに姫宮の御所の高欄に、
結びつけてきた。

それにこの63番の歌も添えられた。

当子内親王の悲しみと悩みも、
青年に劣らない。

その年の秋、
当子内親王は落飾された。

やがて姫宮は若くして逝き、
道雅はその後も三条院の勘当で、
ついに栄進できなかったが、
荒三位といわれるぐらい、
奔放な素行の不良青年になってしまった、
と伝えられる。






          


(次回へ)

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