むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

62番、清少納言

2023年06月02日 08時12分03秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ>


(夜も明けぬうちに
鶏の鳴き真似をしてだまし
関所を開けさせた
あれは中国の故事の函谷関のこと
だけど私の関所はだめよ
私の逢坂の関の守りは堅いわ
だまされて開けるなんてこと
絶対にありませんわよ
お気の毒さま)






・この歌は有名なわりに、
歌の意味が分からない人が多く、
前後の作歌事情もあんがい知られていない。

これは『後拾遺集』巻十六の雑にあるが、
かなり長い詞書がついている。

しかしそれよりも、
『枕草子』の方が詳しい。

清少納言は、
自分の才気が人々にほめられた話、
男と応酬して一本とった話、
などを実に精力的に書いている。

そこが古往今来の男性たちから、
総スカンを食う原因であるが、
しかしその書き方はまことにさっぱりと、
からりとして楽しく、
いかに清少納言が愛すべきやんちゃであったかを、
しのばせておかしい。

さて、清少納言は、
当代屈指の才子大納言行平と親友である。

恋人という説もあるが、私は採らない。
話の合う年下の男友達であった。

清少納言は一条天皇の中宮定子にお仕えして、
内裏のお局(部屋)を頂いている。

そこへ行成が来て話しこんでいるうちに、
夜も更けた。

明日は宮中の御物忌に、
こもらねばなりませんから、
とあわてて行成は帰っていった。

あくる朝早く、
彼から手紙がもたらされる。

「まだお話し足らぬ気持ちですよ。
鶏の鳴き声に催促されて帰ってしまいましたがね」

行成は能書家であるから、
さぞ美事な筆跡であったろう。

清少納言は早速返事を書く。

「鶏の声ですって?
あの夜更けに?
それはきっと孟嘗君の鶏なのね」

~この中国の故事は『史記』にある。
戦国時代、斉の王族・孟嘗君は秦王に捕えられ、
脱出して函谷関まで逃げた。
しかし関所は鶏が鳴くまで開けぬ規則である。
孟嘗君に従っていた食客の中に、
鶏の鳴き真似の巧い者がいた。
そこで彼に鳴き真似をさせ関所を開けさせて、
無事国外脱出を果たしたという話~

打てばひびくように、
函谷関の故事を持ちだされた行成は、
また返事をする。

「あれは函谷関のことでしょう?
あなたと私は逢坂の関ですよ。
忍び逢いの逢坂じゃないですか」

これで見ても、
二人は恋人同士ではなさそうである。

ほんとに恋人同士であれば、
わざわざ「逢坂」なんて思わせぶりな、
言葉を用いたりしないはず。

清少納言は、
たちまち「夜をこめて」の歌で一矢むくいる。

函谷関ならともかく、
逢坂の関は絶対だめよ、
しっかりした関守がいるんですから。

この手紙をもらって、
行成は返事に苦しんだあげく、

<逢坂は 人越えやすき 関なれば
鶏鳴かぬにも あけて待つとか>

(逢坂の関は通行自在の関ですからね。
鶏が鳴こうと鳴くまいといつも開いている、
あなたもそうじゃないんですか・・・失礼)

清少納言は、

(あ~ら、ひどい、ほんとに失礼ね)

と思って、
それを人に見せないで隠していた。

行成は歌が下手なので思うように作れず、
苦しまぎれに作ったものの、
実は苦にやんでいた。

そんな歌が世に広まったら困るな、
と思っていたら、
清少納言が人に見せず隠した、
というので感謝した。

一方、清少納言の「夜をこめて」の歌は、
行成が見せびらかしたものだから、
ぱっと人々の評判になり、
賞賛を博した。

清少納言は、

(嬉しいわ、
せっかくよくできた歌ですもの、
人の口から口へ伝わらなかったら、
張り合いないんだもの)

と喜んだ。

普通の女なら、へんに謙遜して、
なぜ人に見せたと行成を責めるところである。

行成も、それを感心して、

「あんたは、さすがになみの女と違う。
率直でいい」

とほめて一層仲よしになった。

中宮定子は、
美しくて聡明でユーモアを解される、
すばらしい方だった。

清少納言の才気と明るさをこよなく愛され、
清少納言も心こめて中宮を讃美した。






          


(次回へ)


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