むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「6」 ①

2024年09月21日 08時57分19秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は中宮定子の君の、
お美しいお姿から、
目を離すことができなかった

わたしはひとめで、
中宮に恋したといってよかった

おん年十四歳の、
今上・一条帝の後宮は、
ただいま定子中宮おひとかたのみ

ほかにはどなたも、
おいでにならない

天下一の権力者・道隆公や、
きらきらしいご兄弟の若公卿を、
後ろ盾に定子中宮は、
文字通りただ一人の后の宮で、
後宮の女あるじとして、
君臨していられる

夜のうち、
中宮をとりまく人々が、
会話に興じているあいだ、
一段と身分の低い女蔵人か、
命婦がほのかに、
琴をかき鳴らしていた

ようやく、
後宮の長い夜は明けるらしい

この世界の人々は、
夜を徹して快楽に身を任せ、
暁がた眠るらしかった

人々は目立たぬように、
退出しはじめた

私も早く自分の部屋へ、
下りたいと気がせかれた

明るいところで、
醜い自分があらわになるのは、
堪えられない気がする

「少納言、
もう少しいらっしゃい
あなたは声を出さなかったじゃない」

中宮は、
めざとく見つけていわれる

「一晩じゅう、
おとなしすぎたわ」

そこへ夜が明けると、
格子を上げてまわるのが、
役目の女官たちが来た

内側にいる女房たちに、

「掛金をお外しくださいまし」

といっている

掛金は内側から、
かけるようになっており、
格子は外へあげるのである

女房たちが外そうとすると、

「あら、だめよ
そのままにしておきなさい
少納言が明るすぎると、
怒るから」

私は暗いほうへ暗いほうへ、
廻ろうと苦心していた

中宮はお悟りになったらしく、

「下がりたいのでしょう?
それじゃ早くお帰り
夜になったら、
早くいらっしゃい」

とおっしゃって下さった

私が御前を退がるのを、
待ちかね女官たちが、
片はしから格子をあげてゆく

外は白一色、
雪が降り積んでいるのだった

重い夜の匂いが、
開け放たれた外へ流れてゆく

灯油、髪油、たきしめられた香、
かぐわしい女たちの体臭など、
濃密な匂いである

入れ代わりに、
清新な寒気がすみずみに流れこむ

自室の局には、
相部屋の式部のおもとがいた

この人は弁のおもとの知り合いで、
年恰好は私と同じほどの、
温和な女性である

気の張る人柄ではなかった

この人の姉は、
詮子女院の女房である

式部のおもとは人妻で、
夫は則光の遠い一族でもある

とりたてて、
才気が目立つという人でもない

弁のおもとのように、
洗練された趣味人ではないことは、
私はひとめで見てとった

しかし、
いかにも人のいい女性であった

子供が出来たが、
死なせたりしたらしく、
人柄は角がとれていた

式部のおもとは、
独自の見解というものを、
持っていなくて、
感情の均衡のとれた人だったから、
ごく一般的な価値観で、
私に方向づけてくれた

私はぐったり疲れて眠った

昼頃目をさまし、
身じまいをしていると、
早くも中宮からお使いがくる

「今日はぜひ参れ」

との仰せ

今日一日は、
休ませて頂けると思っていた

「雪曇りだから、
昼でも暗いですよ」

と仰せられたそうである

たびたびお使いが来て、
参上をうながされる

休みなので、
くつろいでいた式部のおもとは、
みかねて、

「早くいらっしゃいまし」

と口を出した

「なぜそう、
引っ込み思案になるの?
みっともないじゃありませんか
せっかくのご好意を無駄にしたら、
中宮さまのお腹立ちを買うわ
よほどあなたとは、
相性がお合いになるんじゃ、
ないかしら
中宮さまに『参れ』と、
催促して頂くなんて、
よっぽどのことよ
さ、早く、勇気を出して」

といってくれた

私は局を出た

中宮の御前には、
炭櫃に火がおこしてある

次の間の長い炭櫃の側には、
女房たちがぎっしり坐っていた

手紙を取り次いだり、
立ったり坐ったり、
話したり笑ったり、
物馴れた風情であった

いつになったら私も、
あのようにらくらくと、
いられるだろうと、
うらやましい

「おお・・・」

と声がして、
女房たちはその辺を片づけたり、
居ずまいを正したりした

「関白さまがいらした」

ということで、
私は身のおき所がなく、
部屋へ下ろうと思った

宮仕えの前に、
関白・道隆公と、
夫人・貴子の上に、
お目見得したが、
それは形式的なもので、
他の女房たちといっしょに、
頭を下げていただけであった

お二方は御簾の彼方にいらして、
お声を聞くこともなかった

関白さまを、
身近に拝すると思うだけで、
身がすくむ心地がする

しかし、
一人その場を抜け出すことも出来ず、
さらに奥へ引き込んだ

そうはいいつつ、
もちまえの好奇心が、
あたまをもたげ、
几帳のすき間から、
そっとのぞいた

いらしたのは、
関白さまではなく、
中宮の兄君・伊周(これちか)大納言

直衣や指貫の紫の色が、
壺庭の雪に映えて美しい

すがすがしい美青年の大納言と、
絵の中の美女のような、
中宮が交わされる会話

私は夢うつつに思う

幻影の世界、
この世ならぬまやかしの、
豪奢な夢の世界、
それが現実に目の前にあるのだ

私はその中に身を置いている

手を伸ばせば届く所に、
中宮も大納言もいられるのであった

大納言は女房たちに、
冗談ごとをいいかけられる

女房たちはひるまず抗弁したり、
言い争ったりしている

蒔絵の硯蓋に、
果物や菓子が盛られ、
大納言さまにすすめて、
おもてなしする

突然、

「御張台のうしろに、
いるのは誰だ」

と大納言






          


(次回へ)

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