<心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな>
(いつまで私は生き永らえるか
あまり永くは生きたいと思わぬが
不本意にも この憂き世に
生き永らえるならば
そのとき今宵の月は
どんなに恋しく思いだされることだろう
もう眼の見えぬ身となった
私の心に・・・)
・『後拾遺集』巻十五の雑に、
「例ならずおはしまして、
位など去らむとおぼしめしけるころ、
月の明るいのをご覧じて」
とある。
お体の調子がよくなく、
退位を決意されたころ、
月の明るいのをご覧になってよまれた。
うすれゆく視力に月は美しい。
三条院・・・
三条天皇はお気の毒な方だった。
在位四年のうちに内裏が二度まで炎上するという、
不祥事が起った。
しかもご健康にすぐれず、
お眼を病んでいられた上に、
時の権力者・道長との関係も円滑を欠いた。
道長は自分の孫にあたる先帝の皇子を、
一日も早く位につけたがって、
何かといやがらせをし、
早く退位すればよい、
といわんばかりの仕打ちであった。
政界の実力者にこんなあしらいかたをされては、
天皇はたまったものではない。
何しろ宮廷の廷臣はみな、
天皇より道長の顔色をうかがっているありさま。
政治的苦境にあられる上に、
お眼を悪くされた三条院のお心は、
暗澹たるものであったろう。
可愛がっていられる幼い皇女のお髪をなでつつ、
<こんなに美しいお髪でいられるものを、
この眼で見られないのが残念だねえ・・・>
と涙をほろほろこぼされるさまを、
おそばの人は拝見して悲しく辛く、
勿体ないことに思った。
花、月、雪、ご鍾愛の皇女・・・
すべては三条院の視界から消え薄れようとする。
三条院は、
<心にも あらでうき世に ながらへば・・・>
と失意にうちひしがれつつ、
静かなしん吟を洩らされる。
この歌をよまれてひと月後退位、
翌年崩じられた。
歌の調べは王朝風に美しいが、
陰々滅々たる口調に、
偽物ではない真実味がある。
天皇の御製としては実に人間性に満ちた、
存在感のあるお歌である。
この三条院の第一皇子・小一条院は、
皇太子の位にあられたが、
道長の圧迫に堪えかねて辞退され、
道長の宿願通り、その孫にあたる二皇子が、
つづけて皇位をふまれる。
後一条・後朱雀両帝である。
後朱雀のあとを第一皇子の後冷泉帝が継がれたが、
藤原系の皇子はそこであとを絶った。
すでに道長は亡く、
子の頼通(よりみち)の時代になっていたが、
頼通が後宮に納れた姫たちは、
いずれも皇子を挙げることは出来なかった。
ついに第二皇子が皇統を継がれる。
第二皇子の母君こそ、誰あろう、
三条院がお髪をなでて泣かれたご鍾愛の姫宮、
禎子内親王であった。
こうして三条院女系の孫宮が、
帝位に即かれることになったのである。
これが後三条天皇。
おじいさまのお名を継がれている。
道長は外孫の二皇子がつづけて帝位をふんだのを見て、
望月の欠けたるところなしと、
手放しで喜んだであろうが、
長い歴史の波のうねりをみると、
人間の運命はめぐる小車、
超越者の声ない微笑みが感じられるようである。
なお、この禎子内親王は、
63番の道雅の歌の当子内親王の異母妹で、
母は道長の娘である。
(次回へ)