むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

70番、良暹法師

2023年06月10日 07時56分18秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづくも同じ 秋の夕暮>


(何とはないさびしさが
そぞろ 身にしむ秋の夕
たまらなくなって
家を出てあたりを見れば
どこも同じ
ひといろに
物さびしい秋の夕ぐれ)






・良暹法師は後冷泉天皇(在位1045~1068)時代の、
歌人であるが、父祖つまびらかならず、
生没年も不詳。

この歌は『後拾遺集』秋に出ている。

ほかに『詞歌集』『千載集』にも歌があり、
それでみると、大原や雲林院にも、
住んでいたようである。

妹もいたらしい。
妹が男に捨てられて悲しんでいるのを見て、
良暹は菊に寄せて詠んだ。

<白菊の うつろひ行くぞ あはれなる
かくしつつこそ 人も離(か)れしか>

良暹法師の歌は単純で素直なだけに、
人々の心に受け入れられやすく、
愛されて、日常身辺に親しまれていた。

「津の国にくだりて侍るけるに、
旅宿遠望の心をよみ侍りける」

というのが『後拾遺集』にある。

<渡辺や 大江の岸に やどりして
雲居に見ゆる 生駒山かな>

今の大阪、ビルが林立して、
町の底を歩いていると生駒山は見えないが、
渡辺橋、大江橋、という橋はまだある。

橋の名に古い地名が残っているのもなつかしく、
この歌は私には親しい。






          


(次回へ)

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