<さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづくも同じ 秋の夕暮>
(何とはないさびしさが
そぞろ 身にしむ秋の夕
たまらなくなって
家を出てあたりを見れば
どこも同じ
ひといろに
物さびしい秋の夕ぐれ)
・良暹法師は後冷泉天皇(在位1045~1068)時代の、
歌人であるが、父祖つまびらかならず、
生没年も不詳。
この歌は『後拾遺集』秋に出ている。
ほかに『詞歌集』『千載集』にも歌があり、
それでみると、大原や雲林院にも、
住んでいたようである。
妹もいたらしい。
妹が男に捨てられて悲しんでいるのを見て、
良暹は菊に寄せて詠んだ。
<白菊の うつろひ行くぞ あはれなる
かくしつつこそ 人も離(か)れしか>
良暹法師の歌は単純で素直なだけに、
人々の心に受け入れられやすく、
愛されて、日常身辺に親しまれていた。
「津の国にくだりて侍るけるに、
旅宿遠望の心をよみ侍りける」
というのが『後拾遺集』にある。
<渡辺や 大江の岸に やどりして
雲居に見ゆる 生駒山かな>
今の大阪、ビルが林立して、
町の底を歩いていると生駒山は見えないが、
渡辺橋、大江橋、という橋はまだある。
橋の名に古い地名が残っているのもなつかしく、
この歌は私には親しい。
(次回へ)