・私がもう一組聞いたのでは、
離婚寸前に至ったというのがありまして、
これは地震がきたときに、
ご主人ががばっとはね起きるなり、
その隣に寝ている奥さまを踏み越えて逃げられたそうです(笑)。
もう奥さまは<許せない>とおっしゃっています。
<今度地震があったら、あんたを踏み越えていく>って。
でも、あの程度の地震は二度と起ってほしくない、
と思いますけれども、
そういうのがいろいろございまして、
我々小説家にはたくさんのネタを提供してくれた感じでした。
ただ、
やっぱりどうしても私たちが忘れられないのは、
お年寄りのかたが、
たくさん亡くなられたということですね。
子供たちがみんな巣立ってしまって、
気楽な一人暮らし。
そして昔からいる、
慣れたすみかで一人で暮らして、
時々子供たちが来てくれる。
しかも住んでいるところは、
何十年も前からの町、
町内みんな顔なじみだし、
神戸の町は狭うございますので、
三宮へ行くにしろ、何にしろ、すぐ行けますし、
買い物にも便利だし、遊ぶのにも、
何をするのにもようございます。
神戸に住んでいて、こんないいことはないと。
このままずっとここで年とって死ねたら、
楽しいなと思っていらしたかたが、
そういう古くから住んでいらっしゃる家に限って、
壊れてしまった。
そして、ちょうど七十、八十といいますと、
むごい戦争を経験していらしたかたでございます。
そういうかたがたが瓦礫の下に埋もれてしまった。
これはほんとうにいたましいことだと思います。
よく、今度の阪神大震災と戦争とを比べられますけれども、
どうでしょう、どっちが上で、どっちが軽かったということは、
言えないと思います。
突然来る地震というのは、
これはやっぱりものすごい。
そういうお年を召したかたがたが、
安心して暮らしていらしたのに、
そういう古い家がぱっと壊れてしまうというのも、
むごいことですし、
空襲は私も何度も経験しましたけれども、
空襲というのは、警戒警報があって、空襲警報があって、
来たというので、それぞれみんな防空壕の中へ、
入ってしまいます。
入ってしまうと、
壕が空襲で埋められるという危険もありますけれども、
それでも耳を押さえていると、
空襲のどんどん、がんがんというのも遠くなってしまう、
こともある。
もっとも出てみて家が焼けていた、
ということもあります。
壕が潰れて埋もれそうになる、
怖いので飛び出す、
焼夷弾が雨あられと降って家が燃えだし、
あたりは昼のように明るい、
そこへ次の編隊が波状攻撃で襲ってきて、
機銃掃射でねらってくる。
あたりは煙でいっぱい。
これも怖いことでしたが、
さあ、どうでしょう、
どっちがどうとも、ほんとうに言えないことですね。
ただ一つ、私が、これは空襲よりまし、
震災のほうがましと思うのは、
いま平和な時代なので男手があることでございます。
空襲のときは、
もう男の人はみんな戦地へかり出されていますから、
若い男、壮年の男はいません。
ひ弱な少年たちと五十以上のおじさんだけでごいます。
こういうところで女・子供が被災すると、
ほんとうに悲惨です。
どうしようもない。
それから二つ目は、絶望の気分でございます。
戦争中は、
日本中どこへ行っても食べ物がない時代です。
食べものも着るものもありませんし、
お互いに助け合いたくても、
自分ももうないんですね。
こういうつらいことからみますと、
今度は、ほかの町はまだ被災していませんし、
ボランティアの人たちがすぐ駆けつけてくれた。
このボランティアの助け合いというのは、
日本の震災史上、
ほんとうにこれは初めての活躍ではないかと思います。
みんなが何かしたいと、
何か助け合いたいという気に、
なってくださったということを、
被災地の人々はほんとうにうれしく思っています。
それにもまして私が思ったのは、
テレビに延々と映し出される、
被災死したかたがたのお名前ですね。
空襲では、これは出ません。
もちろんその時代にテレビはありませんけれども、
新聞でも、どこそこがきのうの晩、
空襲に遭ったという記事は防謀上許されておりませんので、
書けません。
情報は管理されていて庶民には、
知らされていないのです。
空襲のあと、死者たちはどこの誰とも知れぬまま、
山積みしてガソリンをぶっかけて焼かれてしまいます。
死者の名前はいまだにわからないままです。
すべては闇に消えてしまって。
昔はそういうことがありますけれど、
今度は延々と死者の名前が出た。
まだよかった。
死んだ人が救われる、
葬られるという感じがいたしました。
ですから、戦争も怖いですし、
震災も怖いんですけれども、
やっぱりまだそういうふうに社会が開けていて、
平和な時代、助け合おうという気持ちができていて、
そして人の心が成熟していて、
災害を受けた人にはとにかく無償で何かしてあげたいと、
そういう気持ちになった。
これがとってもすばらしいことだと思います。
(次回へ)