「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12番、僧正遍昭

2023年04月14日 08時42分02秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ>


(天空を吹く風よ 
雲の中のかよい路を吹いて閉ざしておくれ
天へかえる少女たちをもうしばらくとどめておきたいから)






・この歌は『古今集』巻十七・雑にある。

「五節の舞姫をみてよめる」

ということばがきがあるように、
宮中の大きな儀式、豊明節会(とよのあかりのせちえ)で、
五節の舞いが舞われる、
その折の舞姫を天女に見立てている。

舞姫たちは良家の子女から選ばれ、
みな美少女である。

これは遍昭の出家以前の作である。

遍昭は俗名を良岑宗貞といい、
左近の少将だったところから世に良少将と呼ばれ、
人柄は洒脱明朗、美男で容姿にも恵まれていた。

時のみかど仁明天皇にたいそう寵愛され、
社交界でももてはやされた色男だった。

嘉祥三年(850)仁明帝は崩御。
その御大葬の夜から、良少将の姿はふっと消えた。

その時、三十四歳。

友人や妻は驚き、
けんめいに探すが、消息は知れない。

帝の崩御を悲しんで後を追ったか、
世を捨てたか、法師になったらなったで、
どこからか噂も聞こえようものを、
それも聞かぬところを見ると、
淵川へでも身を投げたに違いない、
と人々は悲しんだ。

少将とかかわりのあった女は三人いた。
妻と二人の愛人だった。

愛人二人には<おれは出家する>と打ち明けていた。
子供もいた妻には、そんな決心はみせていなかった。

妻は自分に打ち明けてくれなかった夫の心が、
恨めしく情けなく、泣く泣く初瀬寺へおまいりした。

夫の衣服や太刀をお布施として差し出し、
導師のお坊さんに頼んだ。

<生きているならもう一度、
逢わせて下さるように、
仏さまにお願いして下さいませ。
もしまた死んでいるのなら、
どうぞ成仏するように、
そして私の夢にでも姿を見せてくれますように、
どうぞ仏さまに・・・>

妻は嗚咽してあとが続けられない。

たまたま、その隣の部屋に、
いまは蓑一枚の僧形となった少将が来合わせていた。

修行のため諸国のお寺を廻っていたのだ。
よそながら妻の嘆きを聞いた少将の心は波立った。

妻を誰よりも愛すればこそ、
出家の決心は打ち明けなかったのだ。

妻の悲しみを見れば、
決心もゆらぐかと思い、
黙って身をかくしたのだった。

おれはここにいる、と叫んで出て行きたかったが、
じっと心をおさえつけ、夜通し血の涙を流した。

そうして夜明け、人知れず立ち去った。

苦しい修行の甲斐あって、
のち僧正の位にのぼり、
花山に元慶寺を創設して座主となった。

この遍昭は『古今集』の序では、

「歌のさまは得たれども まこと少なし」

と評されているが、
当時では愛された歌風であった。






          


(次回へ)

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