<わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人のつり舟>
(はるけき大海原に
あまたの島々は点々と浮かぶ
島から島へ漕ぎめぐりつつ
私は流人島へおわれていったと
都のあの人に伝えておくれ
釣り舟の漁師たちよ
伝えてよ 愛する人に)
・百人一首には流人の歌が多いが、
この篁(たかむら)もそうである。
『古今集』巻九・羇旅に、
「隠岐の国に流されける時に、
舟に乗りて出で立つとて、
京なる人のもとにつかはしける」
としてみえる。
小野篁は才気あったが、
ありあまる才能をもてあまして、
世間とソリが合わないところがあった。
漢詩文にすぐれ、
書も非凡で、
性格は気骨があって恐れを知らなかった。
仁明天皇の承和五年(838)、
遣唐副使に任ぜられたが、
大使の藤原常嗣の船が破損していたので、
常嗣は篁の乗る船と取り換えることを、
天皇に願い出た。
天皇がこれを許可されたので、
篁は怒って仮病を使って乗船せず、
しかも遣唐を諷する詩文を書いたので、
咎めを受け、官位をはく奪されて、
隠岐の島へ流されたのである。
その時の歌である。
篁はこのとき三十七歳だった。
また京へ帰れるかどうか、
生きて再び愛する者を見ることができるかどうか。
隠岐は海の果ての辺土、
心細いが、しかし篁はおじ恐れているだけではない。
篁は「野狂」というあだながあるくらいで、
直情径行の性格、
スジの通らぬ曲がったことが大嫌いな男である。
篁は常嗣の理不尽な駆け引きや、
朝廷トップの不明朗な措置にがまんが出来なかった。
その気負いが、
多情多感な詩人の詩心に火をつけた。
篁は詩才を惜しまれて、
二年後、許されて都へ還った。
その後は順調に累進して、
のちに参議まですすんだ。
参議は閣僚クラスである。
この篁は古くから、
奇怪な伝説にまつわられる人である。
異母妹と愛し合ったとか、
地獄の冥官であったとか、いわれている。
京都の六道の辻の珍皇寺は六道詣で有名であるが、
ここは冥界へ入っていく通路であるともいう。
篁はその六道の辻から冥界へ通い、
そこでは閻魔大王のもとで地獄の冥官として、
罪人をさばいていた。
そうして嵯峨にあるもう一つの「生の六道」から、
現世へ還ってきた。
あの世とこの世を自在に往復して、
人々に恐れられたという。
なんでそんな噂が生まれたのかわからない。
とにかく変わり者だったから、逸話が多く、
それがさまざまな風説を呼び、
虚構は虚構を生んでいったのであろう。
しかし史伝に伝えられる篁は、
ヒンシュクされるような、いやみな人間ではなかった。
六尺ゆたかな大男で、
友情にあつく、母にやさしく、妻にも愛情深かった。
(次回へ)