むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

55番、大納言公任

2023年05月26日 09時06分16秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ>


(そのかみ
嵯峨のみかどが賞でたもうたという有名な滝
いまは涸れて滝の音も
すでにとだえて久しい
けれどその名はいまも世に流れ
人々の耳には
音なき滝の音が聞こえている
ありし日の栄えをしのんで)






・『拾遺集』雑に、
「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに
ふるき滝をよみ侍りける」
として出ている。

京都嵯峨野の大覚寺は、
もと嵯峨天皇の離宮で、
ここに有名な滝があり、
滝殿をつくって賞でられたという。

公任(きんとう)の時代からいうと百数十年前。

この山荘が寺とされて大覚寺となったのは、
清和天皇の御代であるが、
赤染衛門にも、
「大覚寺の滝殿をみてよみ侍りける」として、

<あせにける いまだに懸る 滝つせの
早くぞ人は 見るべかりける>

『後拾遺集』の歌がある。

大覚寺の滝は有名だった。

しかし赤染衛門の歌では、
滝はまだほそぼそながら落ちているようであり、
公任のほうは全く流れていない感じで、
同時代の観察として矛盾がある。

これにつき、
京都林泉協会の方が、
示唆して下さったところによると、

公任のいう「ふるき滝」は、
大覚寺へまいる途中の鳴滝、天然自然の滝で、
赤染衛門のほうは、
大覚寺内の人工の石組の滝(名古曾の滝跡ではない)
だったのではありませんか、
ということである。

なお研究を待たねばならないが、
私は旧来の大覚寺の滝とした。

ところでこの歌は、
魅力のない歌として、
古来から評判が悪い。

公任ならもっといい歌がたくさんあるのに、という。
なんで定家がこんな駄作を入れたのだろう、と。

藤原公任(966~1041)は、
王朝の全盛時代に活躍した花形貴族の一人である。

歌人・歌論家として有名、
死後も長く歌道の師範と仰がれた。

道長時代の四納言と世にいうが、その一人。

博学多才で出自もよく、
かなり負けぬ気の強い男で、
かつ自己顕示欲も猛烈だった。

三船の才、とうたわれている。

これはある年、
道長が大堰川で遊んだとき、
漢詩の船、音楽の船、和歌の船と分けて、
それぞれの道にすぐれた人を乗せた。

この公任大納言はどれにもすぐれていたので、
道長は、
「どの船にお乗りになられるか」と聞いた。

そう聞かれるだけでも身の栄誉であろう。
公任は、
「では和歌の船にしますかな」といって、
そこで詠んだ歌。

<をぐら山 嵐の風の 寒ければ
もみぢの錦 着ぬ人ぞなき>

さすがは、と人々が感じ入ると、公任は、

「いや、漢詩の船に乗ればよかった、
そしてこの歌くらいの詩を作っていれば、
名声はいっそうあがったろうに、
惜しいことをした」

といったという。

その自負と得意、見るべし。

この人は、才にまかせて、
ちょっと口の軽すぎるところがあったようだ。

妹の遵子(じゅんし)が、
円融帝の中宮になって入内するとき、
その行列が兼家の邸の前を通った。

兼家の娘も円融帝の女御の一人で、
さぞ遵子の立后をうらやましくもせつなくも思って、
見送ったであろう。

公任は得意のあまり、

「こちらの女御はいつ立后なさるのかね」

と放言、兼家の恨みを買った。

ところが遵子にお子はできず、
兼家の娘の詮子に生まれられた皇子が、
一条帝として皇位に即かれ、
立場は逆転する。

詮子が皇太后として意気揚々と入内するとき、
詮子側の女房に、公任は、

「お妹さんの素腹の后はお元気?」

とやられてしまった。

素腹の后とは「うまずめ」というよりも、
ものすごい悪口である。

公任が招いた口災だから仕方ない。

紫式部も、中宮彰子の御殿で、公任に、

「このあたりに若紫はいらっしゃいませんか?」

と声をかけられたことを日記に書いている。

ちょっとおべっかの匂う言い方で、
あんたの小説、読ましてもらいましたで、
といわんばかりである。

ともあれ、大覚寺から大沢の池あたり、
王朝の風趣横溢で、京の風光の中で、
私の愛するものの一つ。

『源氏物語』をドラマ化するときなどは、
ぜひこのへんの四季をじっくり、
時間をかけて撮ってほしい。






          


(次回へ)

・映画化、ドラマ化された『源氏物語』は、
男女の密会場面に多くの時間を割いていて、
それよりも、京都の美しい四季に重きを置いた、
映画やドラマを私も見たいです。
人間よりも自然の美を!と思います。

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