むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「7」 ④

2024年09月28日 08時35分23秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・方弘(まさひろ)の妻や母が、
しっかりしているのか、
家事はとどこおりなく、
ゆきとどいているとみえ、
着ているものは人よりよいものを、
小ざっぱりと着付けている

それだけでも、
ほめてやればいいのに、

「せっかくの着物も、
方弘が着たんじゃ、
もったいない」

とまでいうのである

東三條の詮子女院が、
ご病気になられて、
方弘は主上のお使いで、
お見舞いに行った

帰って、

「院の殿上には、
誰々がいたの」

と聞かれ、
誰それと、
指折って答えたが、

「ほかには?」

としつこく聞かれて、

「ええと・・・それから、
寝ている人・・・」

とご病臥中の女院のことを、
そういったものだから、
みな人はひっくり返って笑う

除目の夜のことだった

灯油をつぎ足す役目の方弘は、
灯台の敷物を踏んで、
立っていたものだから、
それを知らずに歩き出し、
灯台はひっくり返ってしまった

灯台の油はこぼれる

また蔵人たちの食事は、
殿上の間でおこなわれるが、
この食卓は蔵人頭が、
着席せぬ限りは、
誰も席につかない

それなのに、
方弘は先に豆一盛りを、
こっそり取って障子の内に入って、
こっそり食べていた

誰かが障子を取り除け、
姿を見あらわされて、
笑われること限りなかった

方弘を私も、
人々と同じ笑いながら、
それにはある種の感動さえ、
あるのだ

いろんな人間が、
この世にはいるものだ、
という感動なのだ

そして私は、
あの落ち着き払った、
中年男の藤原棟世、
あの男の不意の訪問も、
何か裏があるのではないか、
と考えつくようになった

世間を知る、
ということは、
人間の言葉の裏を、
引っくり返して見る、
ということかもしれない

宮仕えして、
はじめての正月は、
夢のうちに過ぎた

宮中行事の世間とは、
さま変わっためでたさ

雪間の若菜を摘む、
七草の節句

白馬(あおうま)の節会

昔は外から見た、
お馬渡しの儀式を、
いま私は宮殿の中から見る

十五日の小正月は、
小豆粥を食べる日で、
粥を煮る焚き木を粥杖にして、
女性のお尻をぶったりする、
無礼講の日である

粥杖で女人の尻を打つと、
男の子が生まれる、
と言い仕えられている

定子中宮も、
そ知らぬ風で近づいた、
乳母や女房に、
何度打たれなすったか、
わからない

その度に明るい笑い声があがる

正月の大きな世間の関心事は、
除目であろう

これは正月九日から、
三夜にわたって行われる

父が生きていたころ、
父と共によい知らせを、
胸とどろかせて待っていた

いまはこうして、
宮中のうちから、
猟官運動に狂奔する人々を、
見ている

雪が降る中を、
申文(申請文)を持って歩く、
無官の人たち

彼らは有力者や、
権門の家、
あるいは後宮の御殿にまで、
それらを配り歩く

女房の部屋などへ来て、
自分の長所を得々と披露し、

「よろしく、
お伝えください
頼みます」

と手すり足すりしている

私の父も老いてまで、
任官運動に奔走していたが、
きっと、父なら、
あんなみじめなざまは、
見せなかったと思う

そして私は今になって、
思いついた

かの弁のおもとが、
父のことを語る時、
おのずと熱が入って、
身びいきするような、
口ぶりだったが、
あれはああやって、
任官運動に父が、
弁のおもとを訪れたことが、
きっかけではなかったろうか

父と弁のおもとに、
愛情関係が存在したことを、
信じはじめている

そしてもう一つ、
思いついたこと

かの棟世の訪問は、
この正月の除目に、
関係はありはしなかったか?






          


(了)

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