・それにしても私は、
女同士の陰湿なひめごと、
耳打ち話、
しみったれた思惑に、
くさくさしてしまった
二条のお邸は、
焼失した北宮より手狭だという
そんなところへ、
女房たちの耳打ちや目くばせを、
気にしないふりをして、
出ていくのもうんざりする
女ばかりの世界は、
私には向いていないのだ
やっぱり後宮で、
ときめいていらした頃の、
中宮定子の君のつくられる、
陽気な楽しい暮らし、
男たちが入れ代わり、
立ち代わり来て、
頓才や機智を挑み合う、
あの生活がなつかしい
私は、
「体調がすぐれませんので、
しばらく宿下りを・・・」
と願い出たわけだった
三条の自邸にいては、
ここを知っている殿上人たちが、
訪れその中には左大臣派(道長公)の、
人もいることだから、
またどんな誤解を招くとも限らない
私は則光に頼んで、
適当な隠れ家をさがしてもらった
そしたら、
五条の辺に、
ちょっと手狭ではあるが、
住み勝手のよさそうな邸を、
見つけてくれた
ここは、
一家が仕えるあるじに従って、
越前へ赴任したばかりで、
借り料を払えば、
任国から帰るまでいてもいい、
というのだった
今年の春の除目で、
越前守になったのは、
藤原為時という学者である
この人はもともと、
淡路守になったのであるが、
長い不遇暮らしの末、
やっと役にありついたと思ったら、
貧しい下国の淡路を引き当てたので、
大いに嘆き悲しんだ、
とうことである
そこで学者らしく、
一文を草して、
主上つきの女房に托した
「苦学の寒夜、
紅涙、袖をうるほし、
除目の春朝、
蒼天、眼にあり」
という切々たる、
悲嘆をこめた文章で、
主上いたく御感あって、
こんなに才能ある人物を、
自分は適所に用いることが、
出来なかったと悲しまれた
道長の君は、
主上のおん心持ちを、
おもんばかって急いで、
除目のやりなおしをされた
為時を大国の越前守に据え、
越前守に決定していた、
源国盛を淡路守になさった
国盛はあべこべに落胆し、
悲しんだという
私は為時という、
爺さん学者は見たこともないが、
儒者として一流で、
大した学者だと聞いていた
私はもともと学者は、
あんまり好きではなく、
なんとなく好感が、
持てないのであるが、
自分の守備範囲の文章で、
主上のお心を動かすというのは、
物質的わいろを送るより、
ずっと立派じゃないか、
と思った
そして為時という、
ぱっとしない不遇の学者役人に、
好感と共感を寄せた
そうそう、
経房の君は、
秋の除目で順調に昇進し、
近衛中将になっていられる
私はこの隠れ邸の場所を、
経房の君だけに教えておいた
このちゃきちゃきの左大臣派、
それも道長の君に可愛がられて、
息子分の扱いを受けていられる、
経房どのに私が仲良くしている、
ということが、
中宮側近の女房たちには、
目ざわりで猜疑心を生むもとに、
なっているのであろうけれど
でも、経房の君は、
大切な人である
恋人でもなく、
姉弟というのでもない、
ふしぎに近しい心情の人で、
まぎれもなく異性である
私は女友達よりも、
男友達とよくわかりあえ、
心ゆるしあえる人間である
女友達といったら、
畏れ多いけれど、
それに値するのは、
中宮お一方だけ
経房の君は、
私の隠れ家に早速、
やって来られて、
「わかりにくい所ですね
小さいが風情があっていい、
越前へ行った為時ゆかりの者の、
家だって?」
ということから、
為時の話になった
「為時どのといえば、
たしか、娘さんが、
おありと聞きましたわね」
あれは陸奥へ下った実方の君が、
噂していた
「『めぐりあひて
見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし夜半の月かげ』
という歌を詠んだ娘さんですわ」
と私は、
その歌をおぼえていて、
いった
「その娘さんは、
もう結婚したのでしょうか
あの頃からみても、
もうはたちは過ぎたでしょうから」
私は歌人で有名な実方の君が、
その歌をほめたので、
張り合う気から、
その娘のことが気になっていた
「そういえば、
一人だか二人だか、
娘を越前に連れて行った、
と聞きました
為時どのは、
妻を亡くして久しいやもめ暮らし、
ですから身の周りの世話に、
娘さんを連れて行ったのでしょう
でもそれならまだ、
婿取りはしていない、
ということになりますね
ほう、そんな歌を詠んだのですか
父親似で文才があるのかも、
しれませんねえ」
経房の君は、
そういわれたが、
にやりと笑われて、
「しかし、あの為時どのに、
似ているとすれば、
さして美人ではないわけだ
ただ息子に惟規(のぶのり)、
というのがいますが、
これは女によくもてているようです」
私はふと、
ずっと遠い昔、
父に連れられて周防の国へ、
下った少女のころを思い出した
為時の娘もまた、
詩人で学者の父と、
越前へ旅していったのだろうか
周防は暖かかったけれど、
今の時節から冬に向かう越前は、
雪に埋もれてどんなに物寂しい、
ことだろう
娘の身には、
さぞ都恋しいにちがいない
私の場合はまだ、
ほんの子供だったから、
好奇心が強くて、
よその国に馴染んだけれども
為時の娘は、
都を離れて行くとき、
もしかしたら、
伊周(これちか)の君の、
配流騒ぎを見ながら、
逢坂山に向かっていたのかも、
などと私は考える
私は文才があるというその娘に、
張り合う気持ちを持ちながらも、
一方では共感と連帯感を、
おぼえずにはいられなかった
(次回へ)