・「何だか、たよりないですなあ。
テレビの刑事ものやと、
もっとさっそうとしているんですけどなあ」
と松永君はさっそく人民の公僕を批判する。
「まあ、あんなところでしょう」と私はいったが、
松永君がたよりないというのは、
警官がせっかく採集した犯人の指紋の黒いセルロイドを、
忘れていったからだった。
私はそれより、あと大忙しだった。
割烹着をつけ、
片端から掃除してまわった。
見知らぬ男たちが使用したものは気持ち悪くて、
みなクリーニングに出すことにし、
家で洗えるものは、洗濯機に抛り込んだ。
「松永サン、掃除機かけて」
「松永サン、お蒲団干して!」
という私のヒステリックな命令に、
青年は「ハイハイ」と従ってくれる、
ごく気だてのいい青年である。
しかし彼は奴隷的に言いつけ通り働いているのではなく、
いろんな発見が面白いから、
すすんで働いているところがある。
「この畳と押し入れは、
無理に作ったんですね、
前に住んでいたのは誰ですか」
「ドイツ人よ」
「なるほど、
それであちこちの鍵がみな頑丈なんですね。
天井が高いから冬は寒いやろうなあ・・・」
好奇心むらむらで調べてまわり、
「あッ、枕が二つ出ています。
カップルで泊ったんでしょうか」
と何やら嬉しそうな声をあげた。
紙クズや箱を片づけていて、
「やや、裁縫箱がこんなところに。
いつもここに出してあるんですか」
「いいえ、とんでもない。
ちゃんと棚にしまってあります」
「いよいよ女が泊ってます。
ちぎれたボタンか何か、つけたんでしょうな。
泥棒と別に、カップルがあいたところから入り込んだ、
複合被害というところですな。
ひととき、自分たちがこんな豪華な邸に、
住んでる夢を見て楽しんだんですよ」
「いやですねえ」
「いやですか、
ほほえましいやありませんか」
「けったくそわるい、という感じです」
「そうかなあ」
男と女の感じ方はちがう。
私は私の家でイチャイチャしていられては、
何となく業腹であつ。
私は決して旧道徳をふりまわす、
頭のかたい中婆さんではないつもりだが、
しかしおたのしみごとは、ヨソで、
という気がある。
松永君はのんびりと、
「嫉妬(やい)てるのかなあ、
つまり自分はもう卒業したのに、
人が現役でやってるのを見ると腹立つという」
「バカね!
卒業なんかしてませんよ、
留年してます」
若い者というと、
四十半ばの中婆さんは、
すでにおしとねすべりをしたはず、
という気があるらしい。
たとえ事実はそうだとしても、そんなことを標榜して、
卒業生という看板をかけるのはいやである。
松永君は屈託なく、
外へ出て草むらに立小便をしていた。
石段の上なので、
まさに中突堤の上に虹のしずくを、
きらめかせていることになる。
ポートタワーの先端もちょっぴり濡れたかもしれない。
「アハハ・・・
ここでやらかすと、
神戸市全市にふりかけたようやなあ」
松永君は感心した。
私は窓から叫んだ。
「ミミズにかけては腫れますよ」
「何がですか」
松永君はニコニコして家の中へ入ってきた。
「腫れたらわかります。
ミミズを怒らしたらダメです」
私は松永君が歌を披露してくれたお返しに、
友人の織田正吉さんの川柳を教えた。
<ミミズにも心があった 先が腫れ>
そういう俗説は、
松永君のような若い世代に伝えられているのか、
どうかわからない。
(次回へ)