・しかし少なくとも松永君は、
ウチの息子たちより、よく働いてくれた。
日本をよくするのはともかく、
私の家の乱雑は彼の大車輪の働きで、ややおさまり、
彼は泥棒の侵入口の穴をふさいでくれ、
使っていない戸口は、
釘を打って動かぬようにしてくれた。
つまりそういう彼の働きにむくいるべく、
私は講演を引き受けざるを得なかったのである。
引き受けるとなると、
先方から鄭重な依頼の手紙がくる。
松永君の伯父さんで、寺の住職だが、
田舎の坊さんによくある達筆である。
当村第〇回目の文化講演会に先生をお招きできるのは、
この上ない名誉である、などとあり、
村民一同、先生のご来臨を今から楽しみにしております、
とある。
私は嬉しくなり、
松永君がやってきたときいった。
「伯父さんも、私の小説のファンなのかしら」
すると松永君は、
書棚の本に一冊ずつ「浜辺蔵書」のハンコを捺しつつ、
(人使いの荒い私は、
遊びに来た人をつかまえてハンコを捺させる。
そうしてこのハンコは、私が本を盗られて以来、
急いで作らせたものである)
「田舎の人間はヒマが多いですからなあ、
わりに物を読むんですわ。
都会みたいにひまつぶしできるもんが少ないですから」
「では、講演のテーマもかなり、
かっちりやらないとダメでしょうね。
心ある人が聞いていられるとしたら・・・」
「なあに、せいぜいミミズの心ですわ」
と松永君は笑った。
当日は松永君が私を村まで送ってくれることになった。
新幹線の姫路駅まで行くと、
すでに迎えの車が来ていた。
これも、朴訥で、人のよさそうな、
屈託ない顔した青年。
ひょっとしたら、松永君の郷里は、
そういう人間を作る所かもしれない。
青年は松永君と幼なじみであるらしく、
遠慮のない口を利き、
松永君もいっぺんに田舎言葉にかえっていた。
春先で、海岸沿いの町では暖かかったが、
内陸部へ入るにしたがって寒くなる。
「これ、鳥取県境までいったら雪が降ってます」
と松永君はいった。
「着いてすぐ、村の小学校で講演という段取りです。
お疲れのところすみません。
その代わり、あとでゆっくりして頂いてけっこうです。
鯉の生けづくりが待ってます」
松永君の語調をきくと、
どうやら生けづくりは彼も待っているようだった。
「の」
と松永君は友人に念を押した。
彼は友人に向かうとき、
播磨の百姓らしいのびのびした言葉づかいになる。
友人はうなずいた。
市街地を抜けておだやかな風光の農村が続いた。
兵庫県は奥へ入ると、
何となくすれていない温和な感じである。
東西の往来は海岸線の都市をつらぬいてゆくので、
内陸部は開けもしないかわり、荒れもせず、
それなりにゆたかで、土地のめぐみがふんだんにあるように、
見受けられた。
これが山間の高地へいくと、
カルスト台地の寒々しい高原になって、
ソバやコンニャクしかできない、
ごちそうは漬物と味噌汁という村になる。
村へ入った。
山に囲まれ、広い田畑がつづいて、
春光がみちあふれ、神戸より暖かい感じ、
畦のほとりをきれいな水が流れている。
私は車の窓を開けて、
田舎の匂いをおなかいっぱい吸い込むことにした。
私は夜の町の盛り場も好きだが、
田舎の自然はもっと好き、という人間である。
「今日とあしたは、浜辺サン、
ゆっくり、田舎で遊んで下さい。
泥棒に入られた腹立ちもおさまります」
と松永君はいった。
そのうち、小高い丘のふもとについた。
寺は坂の上をたらたら上がったところにある。
それも、いかにもゆたかな村の寺らしく、
築地もたてものも美しい。
松永君は貧乏寺といったが、
私は本当に荒れ果てた物凄い寺に泊ったことがある。
鐘は戦時中応召したまま、
屋根からは月の光がさしこみ、
本堂の階(きざはし)も崩れ、
という寺は、実際あるものである。
それに比べると、
松永君の伯父さんが住職になっている雲林寺は、
たいしたものだった。
村人の寄り合いのため広間さえ、
庫裡の隣に新築されており、
私たちはそこへ通された。
伯父さんのご住職は六十二、三のかっぷくのいい、
にこにこした笑顔の松永君によく似た人である。
彼は私を見てたいそう喜び、
「新聞の小説はようく読んでおりますで」
とかしこまっていった。かつ、
「『夕ごはんのあとで』は、
いろいろ考えさせられること多うて」
といった。
私は「夕ごはんたべた?」という小説は書いたが、
「夕ごはんのあとで」は書いていない。
これから書くかもしれないが。
郵便局長、神主、村会議員、
そういう人たちが、私を待ち受けていた。
また、先着していた歌人の八田氏も私を待っていた。
八田氏はずんぐりと頑強なあから顔の、
住職と同年輩の人で、二人は仲良しらしく、
「お住職(じっ)さん」「八っつぁん」と呼び交わしていた。
私は総じていうと、
こういう人々に慣れやすい方である。
のんびりした風趣の神主も、
俳句をひねるという郵便局長も、
日本の田舎へ行けばどこでも見られる人種である。
私はこれらの人々と名刺を交換し、
話したり、昼食をとったりするのは、
好ましいことであった。
そんなわけで、
私は山菜料理の昼ごはんをたのしんで、
くつろいでとった。
菜の花と蓮華のおひたしとか、
つくしの佃煮とか、
山うどのごまみそ和え、
というような春らしいおかずが出てくる。
よく太ったおだやかな住職さんの夫人が接待して、
お代わりをいくらでもどうぞ、
というのだった。
(次回へ)