むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、ミミズの心 ⑥ 

2022年10月27日 09時02分56秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・しかし少なくとも松永君は、
ウチの息子たちより、よく働いてくれた。

日本をよくするのはともかく、
私の家の乱雑は彼の大車輪の働きで、ややおさまり、
彼は泥棒の侵入口の穴をふさいでくれ、
使っていない戸口は、
釘を打って動かぬようにしてくれた。

つまりそういう彼の働きにむくいるべく、
私は講演を引き受けざるを得なかったのである。

引き受けるとなると、
先方から鄭重な依頼の手紙がくる。

松永君の伯父さんで、寺の住職だが、
田舎の坊さんによくある達筆である。

当村第〇回目の文化講演会に先生をお招きできるのは、
この上ない名誉である、などとあり、
村民一同、先生のご来臨を今から楽しみにしております、
とある。

私は嬉しくなり、
松永君がやってきたときいった。

「伯父さんも、私の小説のファンなのかしら」

すると松永君は、
書棚の本に一冊ずつ「浜辺蔵書」のハンコを捺しつつ、

(人使いの荒い私は、
遊びに来た人をつかまえてハンコを捺させる。
そうしてこのハンコは、私が本を盗られて以来、
急いで作らせたものである)

「田舎の人間はヒマが多いですからなあ、
わりに物を読むんですわ。
都会みたいにひまつぶしできるもんが少ないですから」

「では、講演のテーマもかなり、
かっちりやらないとダメでしょうね。
心ある人が聞いていられるとしたら・・・」

「なあに、せいぜいミミズの心ですわ」

と松永君は笑った。

当日は松永君が私を村まで送ってくれることになった。

新幹線の姫路駅まで行くと、
すでに迎えの車が来ていた。

これも、朴訥で、人のよさそうな、
屈託ない顔した青年。

ひょっとしたら、松永君の郷里は、
そういう人間を作る所かもしれない。

青年は松永君と幼なじみであるらしく、
遠慮のない口を利き、
松永君もいっぺんに田舎言葉にかえっていた。

春先で、海岸沿いの町では暖かかったが、
内陸部へ入るにしたがって寒くなる。

「これ、鳥取県境までいったら雪が降ってます」

と松永君はいった。

「着いてすぐ、村の小学校で講演という段取りです。
お疲れのところすみません。
その代わり、あとでゆっくりして頂いてけっこうです。
鯉の生けづくりが待ってます」

松永君の語調をきくと、
どうやら生けづくりは彼も待っているようだった。

「の」

と松永君は友人に念を押した。

彼は友人に向かうとき、
播磨の百姓らしいのびのびした言葉づかいになる。

友人はうなずいた。

市街地を抜けておだやかな風光の農村が続いた。

兵庫県は奥へ入ると、
何となくすれていない温和な感じである。

東西の往来は海岸線の都市をつらぬいてゆくので、
内陸部は開けもしないかわり、荒れもせず、
それなりにゆたかで、土地のめぐみがふんだんにあるように、
見受けられた。

これが山間の高地へいくと、
カルスト台地の寒々しい高原になって、
ソバやコンニャクしかできない、
ごちそうは漬物と味噌汁という村になる。

村へ入った。

山に囲まれ、広い田畑がつづいて、
春光がみちあふれ、神戸より暖かい感じ、
畦のほとりをきれいな水が流れている。

私は車の窓を開けて、
田舎の匂いをおなかいっぱい吸い込むことにした。

私は夜の町の盛り場も好きだが、
田舎の自然はもっと好き、という人間である。

「今日とあしたは、浜辺サン、
ゆっくり、田舎で遊んで下さい。
泥棒に入られた腹立ちもおさまります」

と松永君はいった。

そのうち、小高い丘のふもとについた。
寺は坂の上をたらたら上がったところにある。

それも、いかにもゆたかな村の寺らしく、
築地もたてものも美しい。

松永君は貧乏寺といったが、
私は本当に荒れ果てた物凄い寺に泊ったことがある。

鐘は戦時中応召したまま、
屋根からは月の光がさしこみ、
本堂の階(きざはし)も崩れ、
という寺は、実際あるものである。

それに比べると、
松永君の伯父さんが住職になっている雲林寺は、
たいしたものだった。

村人の寄り合いのため広間さえ、
庫裡の隣に新築されており、
私たちはそこへ通された。

伯父さんのご住職は六十二、三のかっぷくのいい、
にこにこした笑顔の松永君によく似た人である。

彼は私を見てたいそう喜び、

「新聞の小説はようく読んでおりますで」

とかしこまっていった。かつ、

「『夕ごはんのあとで』は、
いろいろ考えさせられること多うて」

といった。

私は「夕ごはんたべた?」という小説は書いたが、
「夕ごはんのあとで」は書いていない。
これから書くかもしれないが。

郵便局長、神主、村会議員、
そういう人たちが、私を待ち受けていた。

また、先着していた歌人の八田氏も私を待っていた。

八田氏はずんぐりと頑強なあから顔の、
住職と同年輩の人で、二人は仲良しらしく、
「お住職(じっ)さん」「八っつぁん」と呼び交わしていた。

私は総じていうと、
こういう人々に慣れやすい方である。

のんびりした風趣の神主も、
俳句をひねるという郵便局長も、
日本の田舎へ行けばどこでも見られる人種である。

私はこれらの人々と名刺を交換し、
話したり、昼食をとったりするのは、
好ましいことであった。

そんなわけで、
私は山菜料理の昼ごはんをたのしんで、
くつろいでとった。

菜の花と蓮華のおひたしとか、
つくしの佃煮とか、
山うどのごまみそ和え、
というような春らしいおかずが出てくる。

よく太ったおだやかな住職さんの夫人が接待して、
お代わりをいくらでもどうぞ、
というのだった。






          


(次回へ)

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