折々のうま-当たらぬでもなし

泉下で涙する杉浦 千畝

ドラッカーは原発をどう考えていたのか

2011年11月23日 17時37分01秒 | 社会
リスクの大小はリスクの大きさではなく
リスクの性格で判断する

(DIAMOND onlineに接続されます)

 ドラッカー自身は原発に「一流の人材を投入し、膨大な投資を行なった」
米GEの行動を是としているようだが、原発自体の是非は論じていない。
 しかし、ドラッカーのリスクの分類で行けば、原発は
「成功しても、その成功を利用できないというリスクである。失敗すれば、
投じた資金を失うだけですむ。しかし、成功すれば、人手と資金の追加が
必要となる。そのときに調達できなければ、それはもともと負えないリスク
だったということになる。」
のではないか。

 原発は安定稼働に「一流の人材」を投入し「膨大な投資」を行う必要がある。
 福島は不幸にして事故に見舞われたが、例え安定稼働を実現したところで、
産出されるプルトニウムの処理、発生する高レベル放射性廃棄物、化石燃料
よりも早い資源の枯渇など、到底、人類が耐えうるものではなかったのでは
ないか。
 福島第一原発の事故機のうち1号機と2号機の原子炉が米GE社製である
のは象徴的である。

 幼い頃は幽霊が怖かった。
 今、幽霊でも会いたいのはP.F.ドラッカーである。
 通訳は上田 惇生 氏にお願いする。



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