競馬のレースで騎手が着る「勝負服」では、全国でもトップクラスのシェア
を誇る「河野テーラー」(福島市)が、東日本大震災と福島第1原発事故に翻弄
(ほんろう)されている。日本中央競馬会(JRA)福島競馬場(福島市)の開催
中止の打撃を受けたばかりか、心ない風評被害も被った。河野正典社長(39)は
「稼ぎ時を失った上、自分が仕立てた勝負服の馬が見られないのは、本当にさみしい」
と嘆く。
河野社長はこれまで福島競馬の開催中、全国から訪れる馬主や調教師を相手に営業
活動を行ってきた。
だが、ことしは震災で福島競馬場の建物が損壊して春と夏のレースが中止になった
ため、セールスの機会を失い、売り上げは例年の半分に落ち込んだ。
6月には秋のレースも中止が決まり、年内に予定されていた全レースが取りやめに。
河野社長は「秋こそはと思っていたので、大きな痛手。来年の春は何とかレースを
行ってほしい」と話す。
原発事故による風評被害も痛かった。河野テーラーの所在地は福島競馬場のすぐ近く。
福島市は県内の主要都市では最も放射線量が高い。「そこで作った勝負服は着られない」
と、せっかく受けた注文を取り消されたこともあったという。
「やれることからやるしかない」と、河野社長はJRA美浦トレーニングセンター
(茨城県)の厩舎(きゅうしゃ)まで出向いてセールスをしている。
河野テーラーは合資会社で、1924年創業の老舗。3代目に当たる河野社長は12
年前、旅行会社を辞めて叔父の後を継いだ。社員は4人。
1着の勝負服を作るのに複数の人の手が関わると縁起が悪いとされることから、
「最初から最後まで1人の職人で作る」という競馬界の伝統を守っている。
「競馬界に活気が戻ることが、福島復興のシンボルになると思う」。河野社長は
「勝負服の仕立屋は全国にわずか数軒。その伝統を絶やしたくない」と勝負服の製造と
セールスに励んでいる。(河北新報)
単価が高いから通販でというわけにも行かないのだろう。
何とかならないのか。
を誇る「河野テーラー」(福島市)が、東日本大震災と福島第1原発事故に翻弄
(ほんろう)されている。日本中央競馬会(JRA)福島競馬場(福島市)の開催
中止の打撃を受けたばかりか、心ない風評被害も被った。河野正典社長(39)は
「稼ぎ時を失った上、自分が仕立てた勝負服の馬が見られないのは、本当にさみしい」
と嘆く。
河野社長はこれまで福島競馬の開催中、全国から訪れる馬主や調教師を相手に営業
活動を行ってきた。
だが、ことしは震災で福島競馬場の建物が損壊して春と夏のレースが中止になった
ため、セールスの機会を失い、売り上げは例年の半分に落ち込んだ。
6月には秋のレースも中止が決まり、年内に予定されていた全レースが取りやめに。
河野社長は「秋こそはと思っていたので、大きな痛手。来年の春は何とかレースを
行ってほしい」と話す。
原発事故による風評被害も痛かった。河野テーラーの所在地は福島競馬場のすぐ近く。
福島市は県内の主要都市では最も放射線量が高い。「そこで作った勝負服は着られない」
と、せっかく受けた注文を取り消されたこともあったという。
「やれることからやるしかない」と、河野社長はJRA美浦トレーニングセンター
(茨城県)の厩舎(きゅうしゃ)まで出向いてセールスをしている。
河野テーラーは合資会社で、1924年創業の老舗。3代目に当たる河野社長は12
年前、旅行会社を辞めて叔父の後を継いだ。社員は4人。
1着の勝負服を作るのに複数の人の手が関わると縁起が悪いとされることから、
「最初から最後まで1人の職人で作る」という競馬界の伝統を守っている。
「競馬界に活気が戻ることが、福島復興のシンボルになると思う」。河野社長は
「勝負服の仕立屋は全国にわずか数軒。その伝統を絶やしたくない」と勝負服の製造と
セールスに励んでいる。(河北新報)
単価が高いから通販でというわけにも行かないのだろう。
何とかならないのか。