YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

帚木 蓬生

2013-09-15 21:13:25 | Weblog
本当に思い切って…
初めての作家さんです。

『千日紅の恋人』
この人の本はニム氏に大分前に送ってもらって持ってはいたのですが、なかなか思い切れず…
先日、有川浩から離れて、江国香織、辻仁成、と旅をしてみたのですが…
ちょっと…収まりが悪く(笑)
ふとこの『千日紅』という私の大好きなお花の名前に目が止まって、読んでみました。

思いっきりはまっちゃう!! って感じではないけど、
もしかしたら…好きになれるかも…? です。

『どんなに困窮しようと、家賃だけは確保して支払い、その後でいろいろ食う算段をしていくのが、人間としての基本ではないのか』←今時、この基本が分からない人、通じない人が多すぎだよね~。

『企業のトップに行き着いた男性たちは、みんなサラブレッドばかりで、農耕馬ではありません。走り回るだけで畑は耕せません。
…現場で働く介護福祉士の男性は、まさしく農耕馬だ。お年寄りが好きで、この道を選んだと言う気概が、一緒に働いていて伝わってくる。
実際に二十歳を少し超えたばかりの若い男性が、八十いくつの老女のおむつを替えてやり、お知りの周囲に付いた便を丁寧にふき取ってやる光景には心底感心する。
もちろん髪の毛が黒い介護士は少なく、茶色だったり金髪だったりするが、入浴介助のときにでも、優しく声を掛け、抱きかかえるようにして身体を洗ってやる。』←この文章はわりと早く出てくるんだけど、これを読んで(この作者、私、好きっ!)って思った。
本当にその通りなんです。
今年、日本で3ヶ月弱、ヘルパーの仕事をしたときに、痛感しました!

『ベトナムでは、アオザイを着るために、太るのを極端に嫌うそうだ。そしていったん太ってしまえば、きっぱりと着るのを諦める。
ある年齢に達すると、やはりアオザイとは永遠におさらばしてしまう』←これって、日本の“振袖”みたいね。…でも、もう今時は結婚してる人も高齢の人も…普通に着てるらしいけど(笑)

『確かにデイケアにしろ大サービスにしろ、お年寄りを十把ひとからげに幼児扱いする傾向がある。』←これは本当に正しい!! 赤ちゃん言葉で話しかけてるヘルパーさんもいるけど、それって本当に失礼だと思う! 人生の先輩に!

『「あんた、そうめん瓜の食べ方、分かっているじゃろ」「5,6センチの幅の輪切りにして軽く茹で、ほぐすと、そうめんのようになる」』←本当にそうなのよ~! そうめん瓜って!!
懐かしいな~! 私のおばあちゃんがよくそうめん瓜の酢の物を作ってくれた。食べたいな~!


この本を読んで、この作家さんはお医者様だってことを知りました。
それで介護の事に関して現場の様子が正確に書かれてるんだ~! って。
この“介護”に関して、思うことは限りなくある。
このブログを書いてる私も、読んでくれてるみんなにも絶対に訪れる介護との出会い! 『明日は我が身』です。
介護の勉強をするだけでも大きく変わるけど、実際にこの仕事をしてみると毎日が『目から鱗』状態です。
いずれは必ず介護する、される日が来ます!
その時になってこの介護に対する知識や経験があるかないかで、どれだけ、するのもされるのも楽に楽しく要領よくできることか!!
みなさ~ん、時間が出来たら、いえ、時間をつくって介護に関する勉強をしてみてください!
一日でも1時間でも介護の現場を見てみて下さい! 体験してみてください!
めちゃくちゃ大変だけど、こんなに素敵な仕事ってないと思う!

話が長くなっちゃうけど…
こんな機会でもないと、離すときがないから…
私がなぜヘルパーの資格を取る気になったかってお話です。

私の母は50代後半で卵巣がんになりました。
自覚症状が少なく、おなかが大きくなってきて、おかしいと思い、病院に行ったら、テレビで見ているのと同じように先生が
「娘さんですか? 残念ながらお母さんは卵巣がんです。すぐに手術が必要です!」って。

で、手術をしたらもうすでに腸やら横隔膜にまで転移してて、取りきれず…
余命半年と言われました。
退院後ひと月間、毎日放射線治療を受けに通い。
ひと月とかふた月ごとに抗がん剤の点滴のための入院。
勿論この当時(昭和の終わり頃)は本人には告知されないので、それを知られないようにするのにそれはもう、物凄く神経をすり減らしました。
この抗がん剤点滴の副作用が物凄く酷く、
母がベッドに横になり、点滴をはじめると5分もしないで戻し始めます。
ありったけ戻してもまだ吐き気は治まるどころかひどくなり、何もでなくなっても胃液(?)を戻し続けます。
こんな姿を娘の私にも見せたくないと、点滴が始まると母は、
「やすこちゃん、帰って、早く帰って」って…いまでもその声が聞こえます。
こんな母を病院において帰るのが辛くて辛くて…
でも、一つだけ嬉しかった事があるんです。
それは、看護婦さんたちが本当に親切だった事。
「娘さん、着替えをたくさん置いておいてね。
着替えがあれば汗をかいても汚れても、私達は着替えさせてあげられる。でも、着替えがないと替えるにも替えられないのよ。」って言ってくれて、
私は毎日パジャマと下着のセットを5セットくらい置いてきました。
そして翌朝、面会時間ではないので母には逢えないけど、看護婦さんの詰め所に行くと、前の晩に着替えさせてくれた洗濯物が出してあって、
また洗濯した着替えと交換してきて…
を、繰り返しました。
本当にたくさん着替えさせてくれた時には5セットがそのまま洗濯物になっていました。
一晩の間に…

いくら病人でも、体重はあるので寝たままでの着替えなんて大変な事です。
いつも看護婦さんたちが母を着替えさせてくれるのを見ていて、要領よく短時間で、綺麗に着替えさせる看護婦さんたちを、私は魔法使いだと思いました。
そして(凄いっ!この技術!! いつか私もこの技を身に付けたい!!)って思ったのです。

でも、その後、母を看取り父を看取り…
一人っ子のプレッシャーから解放された私は…
離婚をして貰い、飲食の道に…
飲食業をしている間は忙しいし楽しいし、介護のことなんて忘れちゃってました(笑)

で、マルティを締めて失業保険をもらい始めたときに、ハローワークで再就職のために無料で学校に行ける事が分かり、
分かったその場でヘルパーの学校を選び、
ヘルパー2級を取りました。

でも学校の実習に行かせてもらった、施設での先輩ヘルパーの態度、利用者さんの家族の態度等々、心がどこにも感じられず、
(この仕事は感情移入してしまう私には出来ない!)と、ヘルパーの私を心の中に封印してしまいました。

で、今回の日本滞在中に、突然この封印が解かれて!!!
と、言う話になるのです。

あ~、長かったね(笑)

付き合ってくれてありがとう!
付き合って読んでくれたみなさん! 介護について考えてみてください!
幼児教育も大事だけど、
今まで私達を支え、育ててくださった先輩たちの老後のお世話も
まともに出来ないのでは、あまりにも寂しいと思うのでです。

今夜、私をこんな気持ちにさせてくれた作者に感謝!
そして、この本を提供してくれたにむ氏、ありがとう!