南杏子
初めての作家さん✨
凄いよ!この本‼️
私、いつも本を読む時に、レシートを栞がわりにしていて、
好きな文章を見つけると、そのレシートの端っこを少し切っては挟んで、読み進む!
そして、読後にその付箋レシートの所を開いて読み直し、このブログに書いている。
☝️今回の付箋量は凄いっ!!
なおかつ、綺麗なブルーとピンクの前に読んだ人の付箋付き‼️
私の前に読んでるのはにむ氏だけど、
彼はこんなことしないから、にむ氏がブックオフで買う前に読んだ人の‼️
もうね、全ページに付箋を挟みたいくらいに心にしみる、近き将来の週末医療のお話✨
今、読み終わったばかりで、興奮してるから、いつもなら付箋箇所全部は書かないんだけど、
書いちゃう! 😆
覚悟してよんでね! 😉
『「その決めつけも信じてない。
大学では新しい抗がん剤の治験も勧められたけど断った。
実験動物になるなんてまっぴら」
「新薬を試すチャンスを諦めたんですか?」
「無責任なこと言わないで!
ほんとに効くかどうかわからないのに、
副作用の苦しみに耐えなきゃならないの私なんだから。
あきらめないほうが絶対にいいって、
あなた保証できるの?」』
『「死ぬために戻ったの」
これまでは医師が新しい治療に挑戦してきたと思っていた。
だが挑戦していたのは、実は患者の方だったのかもしれない』
『だって仕方ないじゃない。
もう、死ぬのは決まったんだから。
あとは、きれいに終わらせてくれればいいわ。
見っともなく錯乱したり、苦しむのは嫌。
先生にお願いするのはそれだけよ』
『「死を受容する5段回」
とは、「否認」「怒り」「取引き」「抑うつ」「受容」
すなわち人が不治の病に直面した時、
最初は自分が死ぬのは嘘だと否定し、
次になぜ自分が死ななければならないのかと怒り、
さらに死なずに済むための取引を試み、
やがて打ちのめされて何もできなくなる段階を経て、
最終的に死を受け入れるに至る心のプロセスを言う』
『欧米では大きな病院に「チャプレン」
と呼ばれるキリスト教の聖職者が常駐する伝統がある。
インドなどでは「ビハーラ」と言う名の仏教ホスピスがあり、多くの僧侶たちが末期患者と向き合っている。
日本でもようやく最近寺院を出て、病院や在宅で療養する患者に寄り添う活動を始める臨床宗教師が増えていると言う』
『「臨終勤行を、執り行います」
臨終勤行とは、死にゆく人本人が、
人生最後のお参りとして勤める行であると言う』
『綾子は「死ぬために自宅に戻った」
と言った。
だが、そうでは無い。
彼女は人生の最期を「生きるため」に戻ったのだと、倫子は思った』
『「逆算ですか?」
「治療すれば以前のように歩けるようになるとか、
しっかり食べられるようになるとか、
彼女はそうした期待が持てる時期を過ぎているんでしょ?
だったら死と言うゴールから逆算して残された時間をどうするかをみんなで考えてあげなさい」』
『「あきらめないがん治療」の著者が、
自分は治療をあきらめちゃうんですね。
これって一体どういうことなんでしょう』
『医師が自分が専門とする病気になりやすいと言われる。
偶然に決まっていると言うものもいるが、実際その通りになるケースも少なくない』
『医療にはおのずと限界があるが、
多くの医師は戦いを止めることを敗北と勘違いしている。
ところが戦うだけではいずれ立ち行かなくなる瞬間が来る。
その時に求められるのは別の医療だ。
死までの残された時間、ゆったりと寄り添うような治療がいかに大切かを私は身をもって知った』
『私わかる。
人はささやかな望みが大切なのよ。
だってこの世からいなくなる直前よ!
やりたいことやって、食べたいもの食べて、思いっきりわがまま言いたいじゃない』
『穏やかで安らぎに満ちた、
いわばサイレントブレスを守る医療が求められている。
どんな最後を迎えたいのか、患者の思いに愚直に寄り添うのが、看取医師である自分の仕事だ』
ふうー ε-(´∀`; )
書いた書いた! 😆
私もできることなら、こんなお医者様に寄り添ってもらって、穏やかなゴールを迎えたいな〜 💕