はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.28 ぼくの好きなキヨシロー

2009-12-22 12:24:42 | 音楽
 泉谷しげる、加奈崎芳太郎著の「ぼくの好きなキヨシロー」を読んだ。

 清志郎が亡くなってから、こうしたたくさんの本が出版されTV番組が放映されたので、今まで知らなかった”RCサクセション”やそのまわりの出来事をたくさん知ることができた。「あきれて物も言えない」のどっかの山師は泉谷しげるのことだったとかね。
 
 RCサクセションが一世を風靡したのは僕が中学生、高校生の頃だった。当時、あたりまえと云えばあたりまえだが、こうした清志郎やRCの経歴を語る本は多くなかった。ライブコンサートや、雑誌の記事や、そしてレコードの曲から僕たちは自分の中にRCサクセション、忌野清志郎のイメージを作り上げて、勝手な解釈で勝手に自分の青春を盛り上げていった。
 
 とあるラジオ番組で清志郎が「チャボはギターが下手」と云えば、真に受けてチャボはギターが下手なんだとずっと思っていた。
 チャボは若くから独自のスタイルと雰囲気を持った根っからのギタリストで下手くそなんかじゃなかったんだ。速弾きがギターのうまい下手だったからな、当時の僕の中では。

 僕らが清志郎の歌を聞いて青春をおくったように、清志郎やチャボや、そして古井戸の加奈崎芳太郎や泉谷しげるもみんな青臭くて青春があったんだな。全然当時はそんな風に感じていなかったけど。だって僕が知っている清志郎は最初から武道館に立っていたし。

 高校生でバンドを組んだ時、RCサクセションはすごい人気だったから、レパートリーに入れるのはダサいと思っていた。”子供ばんど”のコピーがメインだったのはRCを演りたくても演るわけにはいかないその反動だったんだ今思えば。
 だって、ロック雑誌「ロッキンf」のRCの記事の次のページには決まって子供ばんどの記事が載っていたんだから。

 とうとう僕はRCサクセションの曲を演らなかった。「ヒッピーに捧ぐ」をコーノちゃんと録ったことがあるだけだ。

 栗原清志の肉体は朽ちても”忌野清志郎”は終わっていないって泉谷しげるが言ってる。その通りだと思う。