小学校、中学校の同級生に、ちょっとセンスの好い奴がいて、僕の音楽のルーツはおそらくそこから始まっている。
大人びていて、お洒落で、女の子にもモテて、ギターが上手な奴だった。
そいつが聴いていたので僕もRCサクセションを聴くようになった。
RCサクセションに魅せられて、その音楽だけではなくて、ロック雑誌の忌野清志郎のインタビュー記事やラジオ出演などを追いかけるようになり、清志郎に影響を与えた、あるいは清志郎が好きなミュージシャンにも清志郎同様に興味を持つようになった。
そして、遡ってストーンズやジョン・レノンを聴くようになったのだ。
高校生の時にうじきつよし率いる子供ばんどのコピーバンドを初めて、子供ばんどのルーツを追いかけてグランドファンクにたどりついた。
高校の時の若い現代国語の先生に勧められて大江健三郎を読むようになった。
大江の小説に時々登場するウイリアム・ブレイクに興味を持って本屋で詩集を探し続けたが田舎の本屋のどこにもブレイクの詩集はなかった。(今ならAmazonで簡単に入手できる)
本でも音楽でも興味を持った作家やアーティストに傾倒して、一体感を求めるというか、共感を深めるために、その人物が好きなものにまで興味が出てくる。
好きな人を追いかけているうちに、知識が広がったり深まったりする。
そして学びとはそういうものだと僕は思う。
姜尚中の「心の力」を読み終えて、
まずは「こころ」とトーマス・マンの「魔の山」を読まなきゃな、と思った。
トーマス・マンはヴィスコンティの映画を観たことから「ヴェニスに死す」を読んだことがある。
「ヴェニスに死す」は薄い本だったので「魔の山」も薄いだろうとたかを括っていたらば、文庫本で上・下巻に分かれていて、なおかつそれぞれがそこそこにボリュームのある本だった。
僕は「こころ」から読むことにした。
姜尚中が初めて夏目漱石の「こころ」を読んだのは17歳のとき。
おそらく僕が「こころ」を初めて読んだのもその頃だ。
中学生の夏休みに太宰治の「斜陽」で宿題の読書感想文を書いた記憶があるが、「こころ」で感想文を書いた記憶もあるので、もしかしたら中学生のときだったかも知れない。
そして次に読んだのは、松田優作主演で森田芳光が映画化した「それから」を観た後日。
僕は大学の2年生で20歳になったかならないかの純情な頃。僕自身、恋に悩んでいた。
夏目漱石生誕140年の2007年にちなんで本木雅弘主演、久世光彦監督で製作されたテレビドラマ「夏目家の食卓」が2005年にオンエアされ、オムニバス映画「ユメ十夜」は2006年に上映された。
世間が夏目漱石で盛り上がっていたので「夢十夜」「我が輩は猫である」「坊ちゃん」などを読んだけれど、このときは「こころ」は読まなかった。
つまり、今「こころ」を読むのは実に28年振り。
もとより、あらすじも曖昧にしか覚えていなくて、以前読んだ時にどんな気持ちになったのかは忘れてしまったけれど、今と違う感想を持ったことは間違いない。
自分自身で実際に父親の病気や死を体験している今とでは、感じることもリアリティも違ったはずだ。
「心の力」とは何なのか
と姜尚中が問う。
僕は考える。
果たして「心の力」とは、
繊細さ、敏感さ、気がつくこと、気が利くこと、なのか、
それとも逆に、
動じないこと、鈍感さ、無邪気さ、切り換えられること なのか。
竹のようなしなやかな力なのか、攻撃的な力か、忍耐力なのか、粘るような強さなのか、
ばっさりと潔い力なのか。
「心の力」が強いのは、私なのか、先生なのか、それともKなのか。
姜尚中が言う平凡、真ん中、凡庸の偉大さとは何か。
死なずに生き続けることが「心の力」なのだろうか。
僕にはまだ答えは見つからない。
では「心」とは何か
精神、こだわり、思いやり、それともアイデンティティのことか。
どちらかというと無頓着で陽気な自分には「鬱」なんて無縁のものと思っていた。
ところが「心」が塞いでいるのを認識していることがあり、そんなときは自分でも驚く。
技巧で愉快を買った後にはきっと沈鬱な反動があるのです
と先生は私への手紙の中で言う。
沈鬱な反動、なのかも知れない。
楽しい、幸せな時間を過ごす程、沈鬱な反動が激しくやってくる。
時代に置き去りにされるということもどういうことなのかわからないけれど、
子どもの頃の幸福なシーンが記憶の中にあって、記憶の中での登場人物は大切な人も含めて、身近な人も、タレントや著名人も、現実にはすでに失われて不在である。それが過ぎてしまったことでありもはや取り戻せない時間であると認めると、何か恐ろしく取り返しのつかないことになった気がして、投げやりで寂しい気持ちになる。
そして、寂しがっている今このときでさえも、容赦なくどんどん過去となっていく。
だからと言って死のうとは思わないけれど。
「こころ」とはなんだろう。
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