農業をしたい!
と漠然と思っていたのは高校生の頃。
落ちこぼれちゃっていたので、大学に行くことはあまり考えていず、ニュージーランドに行って牧場で働きたいと逃避行を試みたもののそんな道はどこにもなく、あきらめて酪農大へ。
酪農は考えていたよりもずっと難しく、農場の経営も厳しい物だった。
大学3年が終わる頃、「やっぱり就職するほうがいいかなあ・・・。」とつぶやくと、
「酪農大学くらいじゃあろくなところに入れるわけないだろう!アメリカに行ってこい!!!」と親父。
『な~んだ、行っちゃっていいんだ。』と安心して2年間のアメリカ研修。
でも、行ってみると目的がはっきりしない研修はきつかった。
『何のためにアメリカに来ちゃったのだろう・・・・・・。』と何度つぶやいたことか。
そしてある日の事、この結論にたどり着いた。
『農業をするためにここにいるんだ。これからも農業をずっとやっていこう!!!』
そう決めて帰国。家業の工場を少し手伝った後に2年間の住み込み研修。
研修終了はどんどん迫るものの農地を貸してくれる人がいない。
非農家が農業をするのは思っていた何十倍も難しかった。
結局、スタートは親父が脱サラしたときに退職金で買っておいた70坪の宅地。
コスモスのポット苗を1万ポット作った。
あれから21年。
いろいろな人が助けてくれて、いろいろな人が支えてくれて、今はハイフラワーという大きな農場で仕事をしている。
もちろんたくさんのスタッフやパートさん達、近所のみなさん、業者さん達に支えられている。
相変わらず一人では歩けていないようだ。
そんな農場長なんです。
と漠然と思っていたのは高校生の頃。
落ちこぼれちゃっていたので、大学に行くことはあまり考えていず、ニュージーランドに行って牧場で働きたいと逃避行を試みたもののそんな道はどこにもなく、あきらめて酪農大へ。
酪農は考えていたよりもずっと難しく、農場の経営も厳しい物だった。
大学3年が終わる頃、「やっぱり就職するほうがいいかなあ・・・。」とつぶやくと、
「酪農大学くらいじゃあろくなところに入れるわけないだろう!アメリカに行ってこい!!!」と親父。
『な~んだ、行っちゃっていいんだ。』と安心して2年間のアメリカ研修。
でも、行ってみると目的がはっきりしない研修はきつかった。
『何のためにアメリカに来ちゃったのだろう・・・・・・。』と何度つぶやいたことか。
そしてある日の事、この結論にたどり着いた。
『農業をするためにここにいるんだ。これからも農業をずっとやっていこう!!!』
そう決めて帰国。家業の工場を少し手伝った後に2年間の住み込み研修。
研修終了はどんどん迫るものの農地を貸してくれる人がいない。
非農家が農業をするのは思っていた何十倍も難しかった。
結局、スタートは親父が脱サラしたときに退職金で買っておいた70坪の宅地。
コスモスのポット苗を1万ポット作った。
あれから21年。
いろいろな人が助けてくれて、いろいろな人が支えてくれて、今はハイフラワーという大きな農場で仕事をしている。
もちろんたくさんのスタッフやパートさん達、近所のみなさん、業者さん達に支えられている。
相変わらず一人では歩けていないようだ。
そんな農場長なんです。