絵は好きです。美術マニアではないけれど、「本物の目を養うには、本物をみるしかない」という高校の先生の言葉にのせられて、よく美術館に行くようになりました。
で、好きになった画家がダリ、マグリット、アンリ・ルソーです。三人はまったく違う個性の画家だと思いますが、共通点はシュルレアリスムの系統の画家ということですね。でも、シュルレアリスムってなんだ?って言われると実はよくわからない。そこで通勤のお供に文庫(*)を一冊購入しました。
シュルレアリスムは日本語だと「超現実主義」となります。これだけみるとなにか現実離れした夢想の世界みたいに思われますけど、このとらえ方は間違っている。ここで言う「超現実」は「徹底的に客観的な世界」。言い換えると「主観的な意味付けを徹底的に排除した世界」ということです。
マルセル・デュシャンの「泉」という作品がある。女性用の便器にちっちゃく「泉」とサインして置いてあるだけの作品です(笑)初めて見たときは困惑しました。
「意味わからん…」
でも、この感じ方は決して間違がってはいなかったようです。私達は普段「排泄物を処理する容器」として便器をみていますけど、これが立派な美術館に、天才デュシャンのサイン入りで置いてある。そうすると便器の意味が剥ぎ取られて、純粋な「オブジェ(客体)」としての便器が立ち現れる。意味がわからないのは逆に当たり前なんです。
普段、私たちはあらゆる物事に意味を付与して、周りの世界を整理しています。「電車」は通勤の手段だし、「社長」は偉い人だし、「酒」はおいしい飲み物です。ただ、それはあくまで私たちが勝手に意味づけているだけ。それを一切取り払ってみた時、客観世界の思いがけない姿が浮かんでくる。それに驚いたり、不思議な感覚になったりするのがシュルレアリスムなんじゃないかと思います。パンが空に浮いていてもいいんですよ、別に(笑)
まあ、シュルレアリスムの捉え方はとても幅広いようで、時代や人によっていろいろな定義があるらしい(多くの日本人の言う「シュール」は完全に本来の意味を逸脱していますが)。この文章は一冊の本と、数点の絵画、画集を見た上での私個人の解釈なので、シュルレアリスムに興味のある人はちゃんとした本を読んでくださいね。
*巖谷國士著「シュルレアリスムとはなにか」ちくま学芸文庫
で、好きになった画家がダリ、マグリット、アンリ・ルソーです。三人はまったく違う個性の画家だと思いますが、共通点はシュルレアリスムの系統の画家ということですね。でも、シュルレアリスムってなんだ?って言われると実はよくわからない。そこで通勤のお供に文庫(*)を一冊購入しました。
シュルレアリスムは日本語だと「超現実主義」となります。これだけみるとなにか現実離れした夢想の世界みたいに思われますけど、このとらえ方は間違っている。ここで言う「超現実」は「徹底的に客観的な世界」。言い換えると「主観的な意味付けを徹底的に排除した世界」ということです。
マルセル・デュシャンの「泉」という作品がある。女性用の便器にちっちゃく「泉」とサインして置いてあるだけの作品です(笑)初めて見たときは困惑しました。
「意味わからん…」
でも、この感じ方は決して間違がってはいなかったようです。私達は普段「排泄物を処理する容器」として便器をみていますけど、これが立派な美術館に、天才デュシャンのサイン入りで置いてある。そうすると便器の意味が剥ぎ取られて、純粋な「オブジェ(客体)」としての便器が立ち現れる。意味がわからないのは逆に当たり前なんです。
普段、私たちはあらゆる物事に意味を付与して、周りの世界を整理しています。「電車」は通勤の手段だし、「社長」は偉い人だし、「酒」はおいしい飲み物です。ただ、それはあくまで私たちが勝手に意味づけているだけ。それを一切取り払ってみた時、客観世界の思いがけない姿が浮かんでくる。それに驚いたり、不思議な感覚になったりするのがシュルレアリスムなんじゃないかと思います。パンが空に浮いていてもいいんですよ、別に(笑)
まあ、シュルレアリスムの捉え方はとても幅広いようで、時代や人によっていろいろな定義があるらしい(多くの日本人の言う「シュール」は完全に本来の意味を逸脱していますが)。この文章は一冊の本と、数点の絵画、画集を見た上での私個人の解釈なので、シュルレアリスムに興味のある人はちゃんとした本を読んでくださいね。
*巖谷國士著「シュルレアリスムとはなにか」ちくま学芸文庫