TOMO's Art Office Philosophy

作曲家・平山智の哲学 / Tomo Hirayama, a composer's philosophy

作曲とはなにか3~「構築する作曲」から「探す作曲」へ(後編)

2014年05月06日 | 作曲とはなにか
「音楽は誰のものでもない。音符をたどることでも、作曲家の意図にしたがう事でもなく、なにかを発見することだ。」by 高橋悠治

21世紀の作曲の概況を大雑把にまとめると次のようになるだろう。

①西洋音楽理論(調性音楽、12音音楽等々)の崩壊

ウィーン世紀末、ワーグナーで絶頂に達した調性音楽は徐々に揺らぎを見せはじめる。マーラーしかり、シェーンベルクしかり。主音とそれに隷属する他11音、長調と短調という調性音楽の骨子は外され、シェーンベルクによる十二音技法(実質的な無調音楽)が誕生する。それに続いて、1960年代のアメリカの実験音楽。ジョン・ケージらに代表される前衛的な音楽は12音という束縛さえ逃れ、音楽そのものへの問い直しが行われる。


②作曲方法の多様化

中編で述べたDTMに代表されるように、作曲はもはや一部の職人の仕事ではなくなり、誰でも行える行為になった。コンピュータでの打ち込みやMIXING、様々な録音技術によって作曲の方法は広がり続けている。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」に出演した楽譜の読めない電子音楽家Murcofなどそのいい例だろう。


そうなると、作曲とはもはや音を一定の規則に基づいて組み立てる(「構築する」)行為ではなく、より良い音、より新しい響きを「探す」行為になったと言ってよい。そこにもはや理論的な制限はなく、作曲方法の地平は無限の広がりをみせる。

だが、同時に我々は音楽(音)の「意味」をも「探す」ことになる。古代ギリシャの旋法が星や宇宙、神への賛美であったように音楽理論は常になんらかの「思想」や「意味」を伴っていた。翻って現代の「なんでもあり」音楽状況は我々に新たな問いを突き付ける。音楽(音)とはなにか、作曲とはなにか。音響と共にその意味を問い、探し続けることが現代の作曲家の使命なのではないだろうか。










Silent, Chaotic, Beautiful ¥200
Composer/Tomo Hirayama
Piano/徳山美奈子


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