TOMO's Art Office Philosophy

作曲家・平山智の哲学 / Tomo Hirayama, a composer's philosophy

アイヌの音楽についての覚書

2019年09月03日 | 作曲とはなにか
北海道へ長期出張の機会を得たので、アイヌの音楽に関する覚え書きを。

アイヌの言葉に「音楽」に対応するものは無いそうです。
なぜならアイヌ音楽は即ち「歌」であり、生きる喜びの表現に他ならないから。
アイヌにもトンコリやムックリと言った楽器はありますが、使われる地域や用途は極めて限定されていた模様。
「歌」は手拍子や踊り、さらには労働作業を伴って奏されることが多く、
あくまで生活の一部であることがうかがえます。

アイヌの「歌」に特定の音階はありません。
正確に言うと、西洋式の音階理論で捉えるにはあまりにも「歌」の概念が広すぎるのです。

伊福部昭は音楽芸術誌1959年12月号に寄せた論文「アイヌの音楽」にて以下のように述べています。

「彼等の音階は、一般に半音音階であると言われているが、
Sakoro Itak, Yukar Itak 等は半音より小さな音程で飾られることが珍しくなく、又 Yaishama nena 等にあつては、完全な五音音階を示しているので、
今ここに彼等の音階が何の様なものであるかを決定するのを避けたいと思う。」


実際、特筆すべきはアイヌの「歌」の概念の広さです。
アイヌにとっては漁師の掛け声や木こりの斧の音も「歌」になります。
それどころか鳥や蛙、熊の鳴き声も「歌」であり、風や波の音も「歌」として模倣の対象となります。

これが手拍子や舞踏を伴って「歌われる」わけですから、五音音階やテトラコードの組み合わせで分析するのは不適切。
伊福部昭の判断は極めて妥当だと言うのが私の考えです。
もちろんアイヌの五弦琴であるトンコリのように調弦(Cis-Dis-Fis-Gis-Ais)されている楽器もありますが、
あくまで「歌」の付属物という位置付け。メロディーは調弦に捉われず、自由奔放に遷移していきます。

森羅万象、ありとあらゆる存在が等しく価値を持ったものである。動植物は神の化身である。

というアイヌの思想が根底にあるものと思います。
メシアンやケージが知ったらさぞ感動するでしょうね。「なんてクールな民族なんだ!」って(笑)

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