9月に拙作"The Moon From Tokyo To New York for Clarinet and Piano"のニューヨークでのUS初演が決定しました。
場所は世界的に有名な水上ホール、ブルックリンのBergemusicです。
アメリカ現代音楽の巨匠Ned Roremやグラミー賞の Fernando Oteroの世界初演と共に演奏されます。
ニューヨークに行きたいかー!おー!!
Concert
http://www.tonadaproductions.com/tokyo-to-new-york-2014-bargemusic.html
Bergemusic
http://www.bargemusic.org/
サクソフォン四重奏の為の作品。、"Hard-boiled Wonderland"。
クラシックとジャズの融合。Coolさとテクニックを追求したショーピース。
タイトルは村上春樹の小説から。
演奏会のアクセント、ライブなどにお薦めです!
購入はCreemaから↓
http://www.creema.jp/exhibits/show/id/444146
【編成】サックス四重奏(Sop Sax,Alt Sax,Ten Sax,Bar Sax)
スコア+パート譜セット
【難易度】中級~上級者向き
【作曲】平山 智 (Tomo Hirayama)
【演奏時間】4分30秒
【試聴】
http://p.tl/mcVU
【作者webサイト】
http://www.geocities.jp/haitaka0727/
クラシックとジャズの融合。Coolさとテクニックを追求したショーピース。
タイトルは村上春樹の小説から。
演奏会のアクセント、ライブなどにお薦めです!
購入はCreemaから↓
http://www.creema.jp/exhibits/show/id/444146
【編成】サックス四重奏(Sop Sax,Alt Sax,Ten Sax,Bar Sax)
スコア+パート譜セット
【難易度】中級~上級者向き
【作曲】平山 智 (Tomo Hirayama)
【演奏時間】4分30秒
【試聴】
http://p.tl/mcVU
【作者webサイト】
http://www.geocities.jp/haitaka0727/
さて、前回述べたとおり、我々の耳にする音楽の多くは拍子・旋律・和声という3つの要素から構成されている。そこにはルネサンスからバロック、古典、ロマン派へとつらなる作曲理論が基軸にあり、多くの作曲家はその理論(対位法や和声理論)に従って音楽を「構築」してきた。それは文字通り「論理的な構築物」であり、調性理論に基づく和声法やフーガ、ソナタ形式などはその典型だと言えるだろう。
試しに下記の音源を聴いて頂きたい。これはあるコンピュータソフトに「君が代」のメロディーを打ち込み、automaticにコード(和音)をつけさせたものである(私は数回パソコンのキーを叩いただけだ)。若干違和感はあるものの、まあ聞けないことはない。終結部が西洋の楽理では解決できない(ここが日本のメロディーの面白いところ!)ので、不思議なことになっているが、それはご愛嬌だ。
コンピュータソフトによる「君が代」の全自動作曲
こんなことができてしまうのは、西洋の音楽理論がそれだけ強固に出来ているからに他ならない。そしてこれまで、「作曲」という行為はこの理論を身に着けた一部の特殊な職人(技術者と呼ぼうか)の仕事であった。(もちろん例外は枚挙にいとまがないのだが)
ところが、近年この状況に大きな変化が起きている。それは「DTM」=「デスクトップミュージック」の普及による「作曲者」の増大と、パラダイム転換とも言うべき作曲方法の変化である。トータルセリエリズムや偶然性の音楽についての解説を期待していた方々には申し訳ないが、次回はこの「変化」について詳しく解説したい。
試しに下記の音源を聴いて頂きたい。これはあるコンピュータソフトに「君が代」のメロディーを打ち込み、automaticにコード(和音)をつけさせたものである(私は数回パソコンのキーを叩いただけだ)。若干違和感はあるものの、まあ聞けないことはない。終結部が西洋の楽理では解決できない(ここが日本のメロディーの面白いところ!)ので、不思議なことになっているが、それはご愛嬌だ。
コンピュータソフトによる「君が代」の全自動作曲
こんなことができてしまうのは、西洋の音楽理論がそれだけ強固に出来ているからに他ならない。そしてこれまで、「作曲」という行為はこの理論を身に着けた一部の特殊な職人(技術者と呼ぼうか)の仕事であった。(もちろん例外は枚挙にいとまがないのだが)
ところが、近年この状況に大きな変化が起きている。それは「DTM」=「デスクトップミュージック」の普及による「作曲者」の増大と、パラダイム転換とも言うべき作曲方法の変化である。トータルセリエリズムや偶然性の音楽についての解説を期待していた方々には申し訳ないが、次回はこの「変化」について詳しく解説したい。
Love drop ¥200 Composer/Tomo Hirayama Jacket Design/Aya Sugano |
現代の音楽の多くは次の3要素から成り立っている。すなわち①拍子(リズム)②旋律(メロディー)③和声である。
①拍子とは時間をある一定の長さで均等に区切った人工的な時間秩序。
②旋律とは12音の平均律と西洋の調性理論に基づく音の連なり。
③和声とは基音を含めた低次倍音を同時に響かせたもの。
我々が普段耳にする音楽はこれら3つの要素から構成されている。そして作曲行為の多くはこの3つの要素を任意の時間内にある一定のルールや様式に従って音を重ね、「構築」していくことだと言える。
手近にあるミニチュアスコアやピアノ譜を見てみて頂きたい。①、②、③の要素がことごとく詰め込まれていることに気づくはずだ。
さて、ここまで来た時点で気の早い現代音楽家や民族音楽の研究者は颯爽と異を唱えるであろう。そもそも間隔の均等なリズムを持たない民族音楽などざらにあるし(日本の伝統音楽が良い例だ)、1オクターブを12音どころか30音以上に分割し、聞き分ける民族もいる。また、シェーンベルクやケージを引き合いに出して調性音楽の崩壊と音そのものへの回帰を唱える人もいるだろう。
もちろん、私はこれらの言説を否定しない。むしろ自分自身もそのような多様な音楽のあり方に大いに興味を持ち、勉強し、日々触発されている。だが、現代社会でそのような音楽の聴き方をする人間は極めてマイノリティであることを我々は「事実」として認めなければならない。
参考までに下記の資料のP10以降を参照してほしい。
日本レコード協会 2012年度音楽メディアユーザー実態調査
http://www.riaj.or.jp/report/mediauser/pdf/softuser2012.pdf
CD、インターネット配信購入者のほぼ99%が文頭で述べた3要素から成る音楽(もはやこれを西洋音楽と呼んでよいか疑問だ)を求めていることがわかる。
我々の多くは西洋式の音楽教育を受け、日々その枠のなかで小競り合うPOPSやクラシック音楽に身を浸しているのだ。それが良いか悪いかという不毛な2元論はここで展開する気はない。
まずはそのような状況の中で現代の作曲家は何を目指すのか、自覚的であるべきなのだ。
①拍子とは時間をある一定の長さで均等に区切った人工的な時間秩序。
②旋律とは12音の平均律と西洋の調性理論に基づく音の連なり。
③和声とは基音を含めた低次倍音を同時に響かせたもの。
我々が普段耳にする音楽はこれら3つの要素から構成されている。そして作曲行為の多くはこの3つの要素を任意の時間内にある一定のルールや様式に従って音を重ね、「構築」していくことだと言える。
手近にあるミニチュアスコアやピアノ譜を見てみて頂きたい。①、②、③の要素がことごとく詰め込まれていることに気づくはずだ。
さて、ここまで来た時点で気の早い現代音楽家や民族音楽の研究者は颯爽と異を唱えるであろう。そもそも間隔の均等なリズムを持たない民族音楽などざらにあるし(日本の伝統音楽が良い例だ)、1オクターブを12音どころか30音以上に分割し、聞き分ける民族もいる。また、シェーンベルクやケージを引き合いに出して調性音楽の崩壊と音そのものへの回帰を唱える人もいるだろう。
もちろん、私はこれらの言説を否定しない。むしろ自分自身もそのような多様な音楽のあり方に大いに興味を持ち、勉強し、日々触発されている。だが、現代社会でそのような音楽の聴き方をする人間は極めてマイノリティであることを我々は「事実」として認めなければならない。
参考までに下記の資料のP10以降を参照してほしい。
日本レコード協会 2012年度音楽メディアユーザー実態調査
http://www.riaj.or.jp/report/mediauser/pdf/softuser2012.pdf
CD、インターネット配信購入者のほぼ99%が文頭で述べた3要素から成る音楽(もはやこれを西洋音楽と呼んでよいか疑問だ)を求めていることがわかる。
我々の多くは西洋式の音楽教育を受け、日々その枠のなかで小競り合うPOPSやクラシック音楽に身を浸しているのだ。それが良いか悪いかという不毛な2元論はここで展開する気はない。
まずはそのような状況の中で現代の作曲家は何を目指すのか、自覚的であるべきなのだ。
Silent, Chaotic, Beautiful ¥200 Composer/Tomo Hirayama Piano/徳山美奈子 |
「作曲とはなにか」
この問いに答える為に、まず自分が「なぜ作曲をする」のかを明らかにしておきたい。それは一言で言えばある種の「衝動」なのだ。
「inspiration」という言葉がある。現在はなにか唐突なひらめきやアイディアの源泉のような意味で使われていれるが、語源をたどれば「in(中に)+spire(息を吹き込む)=inspire」ということであり、「神が人間に吹き込む(与える)」という意味だ。それゆえinspirationに対応する中国語が「神来(Shen Lai)」であることは極めて的を得ていると言える。
作曲をしていると時々「自分ではないなにか」に突き動かされるように音が生まれてくる(というより「落ちてくる」)ことがある。それを神と呼ぶか精霊と呼ぶか、はたまた「スピリチュアル」と呼ぶかは人それぞれだが、その感覚は間違いなく自分の「外」にある何かなのだ。そんな私を見て妻や娘は近寄りがたい空気を感じるという(というより、近寄っても反応しないらしい)。心理学的にはそのような状態を「フロー」や「ゾーン」という言葉で説明しており、近年では脳生理学と相まって生物学的な解明の努力もされているようだが、今のところ自分にはあまり興味がない。
私の「外」にある何かに突き動かされること。これが私が作曲する理由だ。そして、そのことに何らかの意義を感じているからこそ、細々と20年以上も作曲を続けているのだと思う。(実は自分でも覚えていないくらい小さい頃に書いた譜面が残っているのだ笑)
では、その意義とはなんなのか?それは現代社会においてどのような意味を持ちうるのか。少しずつ整理して行きたいと思う。
「我々が単に内面的なる主観的精神といっているものは極めて表面的なる微弱なる精神である。すなわち個人的空想である。これに反して、大なる深き精神は宇宙の真理に合したる宇宙の活動そのものである。それで、かくの如き精神にはおのずから外界の活動を伴うのである、活動すまいと思うてもできないのである。美術家の神来の如きはその一例である。」
~西田幾多郎「善の研究」 第二編 実在 第九章 精神
この問いに答える為に、まず自分が「なぜ作曲をする」のかを明らかにしておきたい。それは一言で言えばある種の「衝動」なのだ。
「inspiration」という言葉がある。現在はなにか唐突なひらめきやアイディアの源泉のような意味で使われていれるが、語源をたどれば「in(中に)+spire(息を吹き込む)=inspire」ということであり、「神が人間に吹き込む(与える)」という意味だ。それゆえinspirationに対応する中国語が「神来(Shen Lai)」であることは極めて的を得ていると言える。
作曲をしていると時々「自分ではないなにか」に突き動かされるように音が生まれてくる(というより「落ちてくる」)ことがある。それを神と呼ぶか精霊と呼ぶか、はたまた「スピリチュアル」と呼ぶかは人それぞれだが、その感覚は間違いなく自分の「外」にある何かなのだ。そんな私を見て妻や娘は近寄りがたい空気を感じるという(というより、近寄っても反応しないらしい)。心理学的にはそのような状態を「フロー」や「ゾーン」という言葉で説明しており、近年では脳生理学と相まって生物学的な解明の努力もされているようだが、今のところ自分にはあまり興味がない。
私の「外」にある何かに突き動かされること。これが私が作曲する理由だ。そして、そのことに何らかの意義を感じているからこそ、細々と20年以上も作曲を続けているのだと思う。(実は自分でも覚えていないくらい小さい頃に書いた譜面が残っているのだ笑)
では、その意義とはなんなのか?それは現代社会においてどのような意味を持ちうるのか。少しずつ整理して行きたいと思う。
「我々が単に内面的なる主観的精神といっているものは極めて表面的なる微弱なる精神である。すなわち個人的空想である。これに反して、大なる深き精神は宇宙の真理に合したる宇宙の活動そのものである。それで、かくの如き精神にはおのずから外界の活動を伴うのである、活動すまいと思うてもできないのである。美術家の神来の如きはその一例である。」
~西田幾多郎「善の研究」 第二編 実在 第九章 精神
Silent, Chaotic, Beautiful ¥200 Composer/Tomo Hirayama |