TOMO's Art Office Philosophy

作曲家・平山智の哲学 / Tomo Hirayama, a composer's philosophy

高橋アキさんの現代音楽はなぜ面白いのだろう?

2017年10月19日 | 音楽
今日は高橋アキさんのリサイタルを聴きに豊洲シビックホールへ。
アキさんの現代音楽はなぜ面白いのだろう?

大叔母、平山美智子の言葉を借りれば「アキさんの音には一つ一つ意味があるから」だと思う。
ボードリヤールが言う「無内容を装った現代アート(音符)」から意味を紡ぎ出すのがアキさんの凄さだ(ほんとにナンセンスな作品はさておき)。

一つ一つの和音とモチーフにゆらぎが凝らされたフェルドマンの「ヘルマ」の演奏などその最たるものだった。
アキさんに贈られたイ・サンユンの「Interludium A」にもリゲティと見紛うかのような力強いパトスがあった。
前半のシューベルト晩年の小品に、長大なソナタには見られない遊び心と
、簡易な構成の中に見え隠れするソナタ風の厚みが表現されていたのもアキさんならではだと思う。






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人はモノを買うのではない。イメージを買う。

2017年10月01日 | 哲学的考察
出張続きでカバンがボロボロになってしまったので、ネットでオススメのブランド品(2万円くらい)を買おうとしたら、「バックくらい自分で足使って探して来なさい!」と妻に一喝された。仕方なくパ○コやらコ〇サやらで片っ端から検分したところ、結局、紳士服量販店の6,000円のやつが軽くて機能的でしっくりきた。投資家のバフェットが「Never lose money」と繰り返していたが、その通りだと思った。

思うに人はモノを買う時、以下の3つの要素を無意識に考慮している。

①機能=必要な機能を満たしているか
②品質=金額に見合うクオリティか
③イメージ=それを手に入れた時に実現すると思われる「個性的な自分」像

である。実際のところそのモノを買うことで個性的な自分が実現するわけではないのだが、人はこのイメージに大きく左右される。ジャン・ボードリヤールの言葉を借りれば、「モノが客観的機能(道具性)を相対的に失って、記号としての意味を持つようになった」社会(消費社会)では、「個性的な自分」を演出するための「差異指示記号」としてモノが消費されるのだ。
ヴィ〇ンだかシャ〇ルだかの限定モデルのバックを持った女性が誇らし気に歩いている。必ずしも周りの人々から魅力的に見えているわけではないのだが、彼女にとってはそれが「他の人々との差異(優越感)」なのである。もちろん私とてそのような消費社会の呪縛から完全に自由ではありえないのだが、せめてムダ金は使いたくないものである。

ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」


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