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歴史物語  大 鏡

2024年07月11日 09時09分34秒 | 歴史さんぽ

歴史物語  大 鏡

 

〔1は略〕

〔2〕

 

たれも少しよろしきものどもは見おこせ、ゐよりなどしけり。年二十ばかりなるなま侍めきたるものの、せちに近くよりて、「いでいと興ある事いふ老翁たちかな。更にこそ信ぜられね。」といへば、翁ふたり見かはしてあざわらふ。繁樹となのるが方ざまに見やりて、「ぬしはいくつといふ平おぼえずといふめり。此の翁どもはおぼえ給ふや。」ととへば、「更にもあらず、一百五十歳にぞことしはなり侍りぬる。されば繁樹は百四十におよびてさふらふらめど、やさしく申すなり。おのれは永尾の帝のおりおはします年の正月のもちの日生れて侍りしかば、十三代にあひ奉りて侍るなり。径しうはさぶらはぬ年なりな。まことと人々おぼさじ。されど父がなま学生(がくしょう)につかはれ奉りて、下﨟なれども、都ほとりといふこと侍れば、目を見給へて、うぶぎぬにかきむとて侍りける、いまだ侍り。丙甲の年に侍り。」といふもげにと聞ゆ。

                                  (序ノニ)

 

〔3〕

今ひとりに、「なほも翁の年こそきかまけしけれ。生れけむ年は知りたりや、それにて、いとやすく数へてか。」といふめれば、「これはまことの親にもそひ侍らず。こと人のもとに養はれて、十二三までぞ侍りしかば、はかばかしうも申さず、ただ我は子うむわざもしらざりしに、主の御つかひに、市へまかりしに、また私にも錢十貫(つら)持ちて侍りけるに、にくげもなき稚児をいだきたる女の、これ人にはなたむとなむ思ふ。子を十人まで産みて、これはし十たりの子にて、いとど五月にさへうまれて、かっかしきなりといひはべりければ、このもたる銭にかへてきにしなり。』と、『姓はなにとかいふ、』と問ひはべりければ、『夏山』とは申しける。

さて十三にてぞおほき大殿にはまゐり侍りし。」 などいひて、「さてもうれしく対面したろかな。仏の御しるしなめり。年ごろこゝかしこの説教とのゝしれど、何かはとてまゐり侍らず。かしこく思ひたちて参り侍りにけるがうれしき事。」とて、「そこにおはするは、そのをりの御人にやみえますらか。」といふめれば、繁樹がいらへ、「いでさも侍らず。それははやううせ侍りにしかば、これはその後、あひそひて侍るわらはべなり。さて閣下はいかに。」 といふめれば、世継がいらへ、「それは侍りし時のなり。けふももろともにまゐらむと出でたち侍りつれど、わらはやみをして、あたり日に侍りつれば、くちをしうも九参り侍らずなりぬ。」など、あはれにいひかたらひてなくめれど、涙おつとも見えず。          (序ノ三)

 

 


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