江戸隅田川界隈 八丁堀
京橋川の下流、白魚橋の東の川筋を八丁堀という。八丁堀は中ノ橋の下を流れて、稲荷橋のところから隅田川に注ぐ。八丁堀の名は、寛永年中(一六二四~四三)に、船の便利を計って八丁にわたる堀をこしらえたためともいい、また、名主の岡崎十左衛門の先祖は、三河国岡崎の八丁村の者で、家康入国と共に江戸に出て来てこの土地を賜ったので、八丁村にちなんで八丁堀と名付けたともいう。
いずれにしろ、初めは川の名であったのが、この辺一帯の町の総称(中央区日本橋茅場町一丁目、二丁目、三丁目のうちと、八丁堀一丁目、二丁目、三丁目のうち)ともなった。北岸を北八丁堀、本八丁堀、南岸を南八丁堀といった。
八丁堀は、江戸の治安に任じる、南北面奉行所の与力・同心の居住する
地区であった。三田村鳶魚によると、大体、与力は二百坪、同心は百坪くらいの役宅に住んでおり、扶持高は、与力は年功にも寄るが、ほぼ二百有、同心が三十俵二人扶持であったという。
『江戸砂子』に。
八丁堀 五丁あり、北八丁堀という。五丁目に稲荷橋あり、南橋詰に稲荷の社あり。とあり、五丁目に稲荷の社があった。
腕木にも彫物のある稲荷橋
この辺りには町奉行所付きの与力、同心の住まいが多く、北町奉行遠山左衛門尉景元(通称金四郎)が彫物をしていたことに掛けた句。「腕木にも」の「も」にそれが表れている。稲荷橋の腕木には何かの彫刻があったのであろう。
八丁堀三丁目には、かの紀文大尽として名高い紀伊国屋文左衛門の邸宅があった。その実人生は多分に歴史的な俗説に覆われていて定かでないが、俗説に従うと、ある年の十一月八日の績祭のころ、風波のため航路が絶え紀州蜜柑が江戸で騰貴し、地元の紀州で下落した千載一遇の機会に、決死の覚悟で蜜柑を江戸に輸送し、一挙に五万両の巨利を博した。
「沖の暗いのに白帆が見える あれは紀伊国蜜柑船」
という俗謡により、今も世人に深い印象を与えている。資産を得た文左衛門は江戸に出て八丁堀に居を構え、幕府の御用達商人となり、上野寛永寺の根本中堂の資材調達などを行って巨富を積んだ。また明暦の大火の折、機を見るに敏な彼は昼夜兼行して木曾に至り、木材の買い占めを行って巨万の富を得たともいう。その豪奢な生活は、同時代の奈良屋茂左衛門と並び称され、「紀文大尽」として世に持て囃された。
『武江年表』の「元禄年間(一六八八~一七〇三)の条に、
本八丁堀三丁目住紀伊国屋文左衛門(材木屋にして世にいう紀文大尽なり。俳号千山という)、霊巌島住奈良屋茂左衛門(材木屋なり。世にいう奈良茂大尽なり)、この両人、元禄中俄かに大分限となりし人の子にて、花街雑劇に遊び、種々の娯しみをなし、巨万の宝を費やしけること、諸人の知るところゆえここに贅せず。
とあり、二人とも財にあかして豪興に贅を尽くし、ともに蕩尽したことがわかる。
紀伊国短蜜柑のように金を撒き 大門を八丁堀の人が打ち
先に挙げた鞴(ふいご)祭というのは、鞴を用いる鍛冶屋や鋳物師などがその守護神を祭る神事であるが、前の句は、鞴祭の時、鍛冶屋が蜜柑を撒くように、記文が金貨を撒いたというので、ある年の節分に吉原で小粒や小判を撒いたという紀文大尽の名高い豪興の振舞い。後の句の、「大門を打つ」というのは、吉原を一人で買い占め、大門を閉めさせて外の客を入れずに遊興する意で、紀文は吉原の大門を打つことが二度に及んだという。
因みにいうと、当時「日千両」という語があり、一日に千両の金が動くという意で、日本橋の魚河岸、二丁町(堺町・葺短町)の芝居、吉原の遊里の三か所について言われた。つまり、大門を打つには千両の金が掛かったのである。後の句は紀文が吉原を買い占めたという意。
なお、神田にも八丁堀という地名があった。ここも元は堀の名で、常盤橋の西北竜閑橋の辺から東進し、馬喰町に達した堀で、明暦の大火(一六五七)後、防火のために開いた八丁の堀。神田堀、神田八丁堀、銀町堀、銀堀などという。天和年中(一六八一~三)に掘られ、安政四年に埋められた。
(栃面屋弥治郎兵衛は)やがて江戸に来り、神田の八丁堀に新道の小借家住まい、少しの貯えあるに任せ、江戸前の魚の美味に、豊島屋の剣菱、明樽幾つとなく、長屋の手水桶に配り、ついに有り金を飲み尽くし、(下略)(滑稽本「東海道中膝栗毛」発端)そもそもわれわれは、神田の八丁堀に年久しく住まいいたす和泉屋清三と申すものの家来なり。(黄表紙「金々先生栄花夢」)
(女郎)もしえ、ぬしの家は、花菊さんの客人の近所かえ。
(息子)いいえ、違いやす。
(女郎)どこざんすえ。(息子)神田の八丁堀さ。
(女郎)嘘をおつきなんし。よくはぐらかしなんすよ。
(洒落本「傾城買四十八手」)
などとして用いられ、江戸の文学作品に登場する神田八丁堀は、特異な用い方がなされ、架空の人物の住む所、あるいは三つ目の用例のように、すぐに嘘とわかるようにわざと戯れにいう地名として用いたりした。
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