2017年9月5日 谷川岳・衝立岩を見に行きました。膝が悪くて、登ることは出来ないが
夫の青春だった場所を見ておきたかった。写真を見ながら懐かしく思い出しています。
さぁ!行くぞ!
この先は車が入れませんので 一の倉沢.衝立岩の見える所まで 40~50分ほど歩きです。
⇧ 衝立岩を望む 圧巻です。しばらく佇んで眺めてました。手前側の垂直なところです。
いつもガスがかかって、このように稜線がハッキリ見える日は、あまりないそうでラッキーでした。
夫は若い頃休みになると 仲間とロッククライミングに。ハーケンも手作りしたとか@@
溶接技能士でしたから、鉄を加工するのはお手のもの。
ずいぶん古い写真で、セピア色になってますが(^^;
⇧一ノ倉沢
ザイルやハーケンなど色々と、山道具残ってましたが、ピッケルとハンマーだけは残して処分。
敷地に氷がはると ピッケルで割ります。軽くて使い心地最高です♪
⇧衝立岩の近くに、ここで命を落とした方達の慰霊プレート。たくさん岩に打付けてありました。
⇧しばし、佇んで衝立岩を目に焼き付けて 電気バスで「谷川岳ロープウエー駅」に向かう。
⇧ロープウエーに乗りで一気に 1.319mの天神平へ あっという間でした。
⇧天神平からの眺め 笠岳 白毛門
⇧ヒヨドリ草・アサギマダラを期待したが会えなかった ⇧ シモツケソウがたくさん咲いて
トーチソウもたくさん ⇧ シャジン⇧
天神平から 天神峠(1.502m)まで 足で登ってみました。
きつかったですが、たくさんのお花を見ながら 楽しく登りました♪
下りは、だめな膝ですから リフトで下りました 斜度がきつくて怖かったぁ~
ここは、冬場はスキー場のゲレンデになっているので、 夏場はお花畑です。
稜線をず~~と行けば 谷川岳山頂です。行きたかったなぁ・・・
⇧ 新聞に投稿したものです。母を看取ってからやっと行けました。
あちらで夫に会った時に、谷川岳を見てきたよ!って 自慢できます
岩登りのメッカですね。
ロープウェイでも途中まで行けられるのですね。
私は、そんなにあちこち歩いてないので、見に!行きたいわ~~
お写真、この時は髪を切った後ですね(*^^*)
お土産話・・・たくさん!作っておいてからにしましょうね。
あと20年は大丈夫歩きましょう!!
でも、ちょっと写真の顔が小さいけど、私の親友に雰囲気や感じがよく似ていてビックリ!
彼女とは俳句で知り合って広島の人なんですが、何でも言える仲に…ふたりで〝戦友〟と言い合っているんですよ。
ご主人も山男だったんですね。それでミルクさんもよく山へ行かれるのかしら。
私はもう膝が悪くなって、登るのはダメ…だからロープウェイで行けるところに参加して…最近はコロナでそれもダメになって残念です。
一日も早く普通の暮しに戻りたいですね。頑張りましょう。
衝立岩、素晴らしいですね。セピア色の写真にも感動いたしました。
目の前にご主人が登られたお山を見て 感慨無量だったでしょうね。
私 孫に じいじが居なくなったら その頃 ばあばは運転できないから
海に連れて行ってね。
何処かの漁港に下ろして ばあば一人で釣り遊びするから
帰りにまた乗せて帰ってね。って頼んでします。小学生ぐらいの時でした。
いいよ!って言ってましたが どうなるか・・・
ミルクさん、お若いし太ってなんかいないじゃないですか❗
御主人を偲ぶ旅。きっと喜んでおられるでしょう。
素晴らしい風景をありがとうございます。
ここは昔も今も岩登りのメッカですね。
亡くなる方も多くて、何がそんなに引きつけるんでしょうか・・・
ロープウエーで15分位かなぁ。すばらしい展望でした。
ゆりさん、ぜひ! 気持ちが晴れ晴れします。
髪は短く切りました。今は、もう少し短いです(^^;)
あと20年ですか。とても・とても(汗) 介護になってるかも。
お二人の出会いはどこで?? 機会があったら聞かせて下さいね(^-^)
3年前の9月5日です。どうしても行きたくて、行きたくて参加しました。
写真あまり大きくすると、かなりヤバイので小さくしました(^-^;
ちわきさんのお友達に似ていますか?
私は、念願だった場所を見て、これで満足しました。
ちわきさんと、同じく膝が悪いので、少しくらいしか、登れないです。
下りは全くダメな膝です><悲しい・・・
衝立岩を見た時、圧倒されました。こんな所に、アタックしていたんだ@@
当日も、アタック中の人が見えました。
セピア色の写真は、ちょっと・・・と思ったのですが、ま・いいか!と(^-^;
秋田から、ここまで通っていたんですよ。
若いから出来たんですね。結婚後は危険なことを止めて、普通の山歩きをしてました。
お孫さん、いいよ!って優しいですね~。きっと海までのせてくれるでしょう。
これは、あくまで3年前の写真ですから(^-^;
あれから3年・・・すっかりメタボなばあさんですよ。(/ω\)
ずっと衝立岩を見たかったので、母の介護を終えて、ようやく行けました♪
こちらこそ、見て頂きありがとうございます♪
ええ。ずっと見たかったので、心置きなく見てきました♪
若い時だったので、岩登りにのめりこんだのでしょう。
結婚後は止めてました。次男が高校生になってから
一緒に穂高の方へは行ってました。セピア色の写真おかしいでしょ。大昔の山スタイル(^-^;
なんだかより近くにご主人が戻ってていただけたような気持になられたのでは
素晴しい景色が広がるお山なんですね。
>夫の青春だった場所を見ておきたかった
ミルクさんの愛するご主人様を
何時までもの気持ちがずんと伝わってきます。
以前出かけたスイスのマッターホルン
初登頂を成功させた当時の山登りにかける登山者の思いをガイドさんから聞き
重ねてミルクさんのお話うかがっていましたよ。
ご主人様には
こちらの楽しいお土産話聞いていただくのはもう少し
待っていただきましょう。
こんな素敵な場所が近くにあり
私も若ければキット引かれていたかもね。
素敵な場所
そしてセピア色の大切な思いで
スッと気持ちが入っていけましたよ
ありがとうございました
先ず何よりも、衝立岩は圧巻でした。あちらに行ってからもう、20年以上になるのですから
かおも忘れそうですよ(^^; 母の介護を終えた時がチャンスと思って。
いい時期に行けて良かったです。今年なら無理でしたもの。
ロープウエーで1300ⅿも、上がる事出来るので、
けっこうなお山に登ったことになります♪
展望は素晴らしかったです。お花畑もね。
ミッキーさんは、スイスのマッターホルンへ・すごいなぁ。
私は、ここへ行くのがやっとでした(^-^;
夫は、早く来いよって、待ちくたびれていることでしょう・・・
でも、あと少し待ってもらおうと思いますよ。
ミッキーさん・こちらこそ見て頂きありがとうございます。
旦那様は、登山家さんだったのですね。
甥っ子が中学生の頃、山岳部に入り、それから登山に少しだけ注目するようになりました。
無事に下山したと聞くまで心配で…
旦那様との思い出の地へ~
きっと天国に想いは届いていますね。
夫は、登山家じゃなくて、ただの山好きでした(汗)
次男が、影響を受けて高校の山岳部に入ったので、うれしかったのでしょう。
二人で、穂高や、北海道の山に行ってました。
私は、登山嫌いだったんですが、なぜか、夫の没後、山歩きの会に入会してました(^-^;
おかげさまで山歩きの楽しさを~(^^♪
夫は、上からよくここまで来たなぁと、眺めていたかも~
私は70才を過ぎて歩こう会に入り、ままごとみたいな体験ですが、富士山も眺めながらの天城こえや六甲、九州の近場の山々に歩きました。登りましたと言えないような。3年前膝を痛めてできなくなり残念です。
ミルクさんも3年前に行かれたのですね。
思い出の場所を、点検?されていつか再会されたとき話題にしたい…素敵な話ですね。それにしても、すごい場所ですね。夫の職場の後輩が山でなくなりました。はっきり覚えて居ませんが谷川岳?
1才の娘さんと奥様を残して…。もう60年前の話です。
大切な思い出のお話感動しました。
山好きでしたねぇ。結婚してからは岩登りをやめて、普通に山を楽しんでました。
私が、山歩きの会に入ったのは、夫が亡くなってからでした。
毎月1回の山歩きでしたが、母の介護になってからは、行けなくなり
そのうち、膝が痛くなって、登山は無理。もっぱら里山くらいです。
私も富士山は、ツアーに参加して見に行っただけです。
夫に自慢できるなぁ・・・と思って。
そちら、台風10号怖いですね。準備が大変でしたでしょう。
被害のなく通過してくれる事を、お祈りしています。
尾瀬なども夜行電車・バスがかなりありました
私もハイキング派 東京の最高峰・雲取山などは数回 浅間山 大菩薩 乾徳山など数々浮かびます
その頃 谷川岳の岩峰登山が流行り 若者が多く登り 一ノ倉の岸壁は遭難の連続です
歌声喫茶もブーム その頃の歌 山男の歌 良く歌いましたが歌詞には賛同できない思いを込めていました
山で死んだ本望よ・・そんな思いに怒りを覚えていたのです
残された家族 友人 多くの人の哀しみが分からないのかと 遭難の報があるたび思ったものです
そんな思いを象徴した 遭難 という映画が作られ 山で死ぬことへの影響が受れられ 以後 岸壁に登る方も少なくなっていきました
慰霊碑が もっと古いものがあったと思います
天神平へのロープウェイは その後作られ誰でも登れるようになり 添乗員でも案内しました
一ノ倉沢入り口までも 案内したことがあります
西黒尾根を登れば天候急変を除けば 楽に登れる谷川岳です
当時の若者はあえて 岸壁に魅了されていたのでしたね
ご主人もその一人 遭難されなくて良かったです
投稿記事も含めて しみじみ読ませていただきました
丁重なコメントありがとうございます。
一ノ倉沢入口まで、案内された事あったんですね~
当時の若者に、岩登りが流行って、その流行りに、夫もとりつかれていたんでしょうね。
でも、結婚したら家族を悲しませたくないと、止めましたけどね。
県ごとに分けた慰霊碑は、ロープウエイ駅より、もっと下の方の広場にありました。
ロープウエイで、天神平まで上がれば、後は、尾根づたいに行くので
膝が悪くなければ、私も行きたかったなぁ・・・ 思い出深い谷川岳でした。
投稿文も読んで頂き、ありがとうございました。