小さな庭の花日記

つるバラを中心に宿根草や山野草を植えてナチュラルな庭作りをしながら、DIYでパーゴラやサンルームを設けて楽しんでいます。

おかえりなさい。。。かな?

2018-08-15 | だんなブログ
皆さま、こんにちは。

庭主のだんなです。

今年の夏は、連日の猛暑や台風による豪雨、北海道では冷夏ともいえる気温など、大変な状況が続いています。
帰省やレジャーなどでお出掛けされている方もいらっしゃると思いますが、お互いに気をつけていきたいものですね。

そんな今年も、早いものでお盆期間に入っていますので、ご先祖のみなさまを迎えられて過ごされている方も多いと思います。
私たち夫婦も、庭主の父方と母方、旦那の父方、母方のご先祖さまに思いを寄せて過ごすようにしています。

そんななか、ふと、一緒に家族として暮らしてくれた動物たちも、お盆に帰ってきてくれているのかなぁ?
神さまのもとに帰って行った動物たちも、ありし日にそこで暮らした鳥ケージや、猫つぐら、犬小屋などのお気に入りの場所で、久しぶりにくつろいでくれているといいなぁ。。。と思った今年のお盆なのです。

私こと、だんなは、動物を家族として迎えたのはハイジが初めてでしたが、庭主は小さい頃から小鳥やうさぎ、猫や犬などたくさんの動物たちを家族として、リアルハイジとしてずっと暮らしてきたようです(笑)

ハイジを見送った今年は、そのすべての動物たちが、虹の橋の向こうで仲良く楽しく暮らしている様子を想像しながら、毎日をすごしています。

お盆が過ぎて、ご先祖さまと一緒に帰るまでの間、動物たちが、私たち夫婦が日々の暮らしにアタフタしながらも、何とか前を向いて生きている傍らで、少し心配しながら(笑)見守っていてもらえるように、感謝と笑顔で想い出すようにしています。

幸せな想い出をたくさんプレゼントしてくれた家族や動物たちに、その感謝の気持ちをお土産に持ち帰ってもらえたら、と残りのお盆期間を過ごしたいと思う私たちなのでした。



ありがとうございましたm(__)m





いろいろ想い出しました。

2018-02-11 | だんなブログ
皆さま、こんばんはm(__)m

庭主のだんなです。

祭日で日曜日、さすがに今日は私もお休み、ハイジはネムネム(-_-)zzz、庭主もペンキ塗り塗り、ということでだんなブログをひとつ。。。

今日は『建国記念日』。
たしか、昨年もこの日にだんなブログを書いた記憶がありますねぇ。
あれからもう一年が過ぎ、歳のせいか時間の速さを感じてしまいます。

さて、一年前は祭日、国民の祝日について調べたことをつらつらと書き述べた覚えがありますが、その時にあらためて調べると、法律的には建国記念の日とか。
でも、馴染みのある『建国記念日』ということでお話を進めさせていただきます。

建国記念日ということは、日本が建国された日をお祝いするための祝日ということですね。
それでは何年前に建国されたのか?を調べてみますと、なんと!今年で2678年だそうです。
今年は西暦で2018年ですので、なんと紀元前660年以上前ということで、驚いてしまいます。
それでは、何をして建国と定めているかと調べますと、初代の天皇陛下であられる神武天皇が御即位なされた日、ということでした。
来年に御譲位を予定されておられる今上天皇陛下が125代目の天皇陛下ということに、ここでも日本の長い長い歴史を感じます。

インターネットで調べたことですので、細かい点では違っている部分もあるかもしれませんので、ご容赦ください。
そして、いろいろと調べているうちに、何十年も前のいろいろなことが想い返されてきました。
ところが、これがまた自分の至らなさをさらすことになるのですが、罪ほろぼしとして、あえて書かせていただきます(^^;

ところで結婚とは、本人同士だけでなくお互いの家と家の関係が重視されると言われることもありますが、庭主と結婚した当初、私の実家と庭主の実家の共通点を、思いがけずに発見した事がありました。
それは、私の親も庭主の親も戦中生まれ、戦前生まれの祖母が健在であったこともあって、御皇室に崇敬の気持ちを持っているということでした。
どうしてそれが分かったかというと、初めて庭主の家に伺った時に、額装されて居間に飾られていた一枚の写真が目に入ったからでした。
それは、昭和天皇の御代で今上天皇が皇太子殿下であられた時の皇室御一家のお写真でした。
我が家に飾られていた額装写真と全く同じで、額も同じだったので、んっ!デジャブ?と感じた記憶があります(笑)

ところで、そんな両家で育った私達夫婦ですから、ごく自然に御皇室には尊敬の念をもって今にいたっております。

もう30年も前になるのですね、私が東京に上京した大学生の時に昭和天皇が崩御なされました。
その折り、私の亡き母から電話があって、弔問と記帳をさせていただきたいので、皇居に連れて行ってほしい、とお願いをされたのです。
しかし、当時苦学生?であった私はアルバイトに追われており、その願いを叶えることができませんでした。

ほとんど息子にお願いをすることなどない母でしたから、余程の気持ちで電話をしてお願いをしてきたのだなぁと、今から考えても本当に感じます。
そんな願いを叶えることもしないで、この息子はどんだけダメダメなんだ!と第三者として観ると、自分でもツッコミたくなります。

東京だよ、おっかさん(古いですが。。。)歌詞が胸に沁みます。




あれから30年近く過ぎて、母も父も亡くなって言葉を交わすこともできませんが、生前に常々私に言っていたことは、庭主のお父さんとお母さんを大切にしなさい、でした。
亡き母や父にできなかったことを、庭主のお父さん・お母さんに少しでもすることが、あの世から見ている父母が望んでいることだと心に留めています。

う~ん、またまた反省ブログとなってしまいました(-_-;)
この調子でいくと、反省シリーズ化されてしまいそうなので、しばらく控えた方がよさそうです(^^;

全国的に、記録的な大雪や寒波が続いていますので、体調管理に気をつけてケガなどないように留意していきたいですね。

ありがとうございましたm(__)m



こころのうちを。。。

2017-10-21 | だんなブログ
みなさま、庭主のだんなでございます。
いつも、ありがとうございますm(__)m

今年は秋らしい青空になかなかお目にかかれませんねぇ。
しかも、台風も日本に向かって来ているようで、ここ数日は気の抜けない日が続くとおもいます。

さて、庭主は人と話をすることが大好きで、長く一緒に暮らしてきた今でも、だんなである私に色々な話をしてくれます。
特に庭主が仕事でお会いする、人生の大先輩である大正生まれ、戦前生まれの方々からお聞きしたお話には、夫婦揃って感銘を受け、あらためて自分達が生きていくうえでの指針にさせてもらっています。

庭主が感心して話すのには、大正生まれ、戦前生まれ、ということは90歳を超えていらっしゃって、なかには100歳をこえておられる方もおられるのですが、みなさん矍鑠とされていてお元気な方が多いそうです。
そして、話されることもご自身の経験に基づいた、しっかりとした筋の通ったお話しなのだそうです。

この10年あまりで、そういったご縁をいただいた方が何人もおられ、お亡くなりになった方々も含めて、庭主は御一人御一人のお顔とあわせ、話してくださったことを心に刻んでいるようです。
庭主の大好きだった田舎のおばあちゃんも、大正生まれで生きていれば100歳だね~と、折にふれて話をします。


そんなお話のなかで、だんなこと私が、今この時期に特に想い返すことがあるのです。
それは、人生の大先輩の皆さまが、実際に体験してこられた戦時中のお話です。


働きに行っていた工場で、空襲に遭って防空壕に命からがら逃げ込んだ。

軍人さんだったお父さんについて、家族みんなで船に乗って南方にいった。

とっても優しくて優秀で大好きだったお兄さんが戦地で亡くなって、本当に悲しい思いをした。

本当に物もなく、お腹もすいて大変だったけど、お父さんとお母さんが一生懸命働いて育ててくれた。

空襲警報の鳴るなかを、最後まで皆を安全な丘に誘導したお父さんが、爆弾を受けて亡くなってしまい身寄りがなくなって疎開した。

終戦間際に満州から船で引き揚げてくる時に、危険を避けるために男装をして、見ず知らずの兵隊さんに助けてもらいながら荒波を越えて体一つで逃げてきた。

シベリアで捕虜になり、極寒の寒さに震えながらも、家族のために生きて帰ると諦めずにいたこと。


などなど、まだまだ書ききれないお話をたくさん庭主は聴かせてもらっているようです。

でも、ほとんどの皆さんがおっしゃることは、当時はそれがあたりまえで、みんながそうであったと。
生きていくことに精一杯で、それは仕方がないことだと思っていたと。
そして、今の若い人たちに言っても解らないだろうねぇ、と静かにおっしゃる方がほとんどだそうです。

実は庭主のおじいさんも終戦間際に、海軍の兵隊さんとして南方で戦死されて、お腹に赤ちゃんを宿していたおばあちゃんはとても苦労され、おばあちゃん子だった庭主は、その頃の話をよく聴いていたそうです。
なので、話だけですが時代背景は多少知っていますよ、と言うとみなさんとても喜んで、これは今の若い人に言ってもわかってもらえないから、自分の子供にも全部は言えないことなんだけどね。。。
と、さらに心のうちを明かしてくれるのだそうです。

なぜ、戦時中のお話を今強く想い返すのかと言えば、明日は衆議院の総選挙の投票日であり、私の住む長野県でも、現代の空襲警報とも云えるJアラートが鳴り、私も右往左往した一人だからなんですね。
戦後72年を過ぎて、これから先も日本の空をミサイルが飛ぶかもしれない時代に、戦争を経験し空襲に遭い艱難辛苦を乗り越えてこられた方々の言葉は、何よりも私たちの指標になると感じられるのです。

それは、今の豊かで平和があたりまえの現代に育った戦後世代の人間が理屈だけで発する言葉とは、比較することすら出来ない重みを感じるのです。
多感な時期のほとんどを戦中に生きた方々は、自分の暮らす街に焼夷弾が降ってくるという覚悟を常にしていたそうです。
もしかしたらそれは、今の平和も経済的な豊かさも、いつ危機的な状況におかれるか分からないということを、私たちも頭においておく必要があるのかもしれないと思うのです。

在るのがあたりまえと思っていた大切なものは、失ってからその大切さがわかって後悔することがよくあります(汗)
それは、親であったり、連れ合いであったり、健康であったり。
そして、その大切なものは言葉だけを唱えているだけでは守れなくて、それを守る努力や行動なしではいつかなくなってしまう。

その行動のひとつとして、台風が来ても今回の総選挙にしっかりと臨む、と思うだんななのでありました。
台風の危険に備えて、今日のうちに期日前投票を済ませてはいかが?という案もありますね。

長くなってしまいましたが、庭主を通して語られた、人生の大先輩の方々の生きた姿と言葉を少しでも紹介いたしたく、だんなブログでつぶやいてみました。


ありがとうございましたm(__)m








もうひとつの贈り物☆

2017-07-09 | だんなブログ
みなさま、ご無沙汰しております。

久しぶりのだんなブログです。

先ず、現在も続いている九州の豪雨災害で被害に遭われた方々、避難されている方々に、心から御見舞い申し上げます。
我が家でも、あらためて防災意識を持ちつつ、この週末から事前の備えを始めました。
日本全国、明日は我が身という気持ちで日々を過ごしていくことが必要だという思いを強くいたしました。


さて、先日の庭主のブログでもありましたが、先日は私の亡き母の命日でありました。
母を見送ってもう五年も経つのかと、時の流れの速さに驚くばかりです。

私が母に贈ったものが、庭主が紹介してくれたバラの他に、もう一つあったのですが、今回はそのことを少し書いてみたいと思います。



時間を五年前に巻き戻すと、母は病院で数か月の間、呼吸器の補助を付けながらの入院生活を送っていました。
のどには呼吸器がありましたので、母は声を出すことが出来ず、意思疎通がなかなか難しい状態でした。
身振り手振りで一生懸命訴えるのですが、解ってあげることが出来ずに、その度お互いにもどかしい気持ち。
そんななか、筆談ならばとミニホワイトボードを用意してみたのです。

ペンを握る力もほとんどない手で書いてくれた言葉が「まんじゅうがたべたい」でした。
はて?それほど好きでなかったのに?と思いながらも、何種類かのまんじゅうを買って母親に見せたところ、どれも首を横に振ります。

家族みんなで、どうしたものか困惑していると、今度は「おやき」とリクエストが。
おやきとは、信州のローカルフードで地粉で作った皮で色々な具材を包んだものです。

なんだそうか!と、さっそくおやきを数種類買って母親のもとに。
ところが、これを見ても母は違うというそぶりで、さすがに困り果ててしまいました。

その日は家族それぞれ家に帰宅したのですが、それから家でも会社でも、母はなにが食べたいのだろうと思案し続けて数日経ったとき、ふと思い出したのです。
私が実家にいた学生時代に、母が地粉で手作りしてくれた小豆あん入りのまんじゅうのことを。

それは、地粉をこねて作った生地で、これまた自家製の小豆あんを包んで蒸かした後にかるく焼いた、母のオリジナルでした。
一度にたくさん作ってくれて、大皿いっぱいに積まれたそれは、見ただけで幸せになったものでした。
これなら、最初に「まんじゅう」次に「おやき」と言ったというのも納得出来ます。

いくら三歩歩けば忘れる酉年生まれの私でも、いくらなんでも程があります(汗)
それでも気を取り直して、おやき探しです。

しかし、ここでまた問題発生。
母のオリジナルに近い、厚皮のおやきがないのです。
小豆あんを具にしているのは定番なのですが、まわりの皮が薄い(・_・;)


( 画像をお借りいたしましたm(__)m )


一軒だけ知っていた、厚皮おやきの地元の老舗は、長期の臨時休業中と。。。

何日か掛けて回った店がすべてアウト。
途方に暮れた私は、自分で作ってみようかと地粉を手に取りましたが、作り方がわかりません???

そんなこんなで諦めかけましたが、偶然通りかかった路地で「手作りおやき」の看板を見掛けて入ってみると。
母のオリジナルほどでないにしても、まぎれもなく厚皮のおやきがそこに!

店のオーナーさんに聞くと、やっぱりこのタイプは今はうちくらいかもねぇ、との返事に頷きながら。
そうですよねぇ、ほんと助かりました!とお礼を言いつつ、おやきを抱えて奥さんと一緒に病院へ向かいました。

これならきっと食べてくれるね!と二人で病室に入ると、あれ?いつもは静かな病室が慌ただしい雰囲気。
母のベットを担当の先生や看護師さんたちが囲んでいます。
看護師さんからは「午後から高熱が出て昏睡状態です」

この日から数日後に、おやきは食べてもらえないまま、バカ息子は母を見送ることになりました。

母のことを何も知らなかったなぁ、と親不孝を再認識した私は、母が作ってくれたおやきの記憶をたどりながら作ることになるのですが、その顛末は機会があればだんなブログで(^^;



今年は、小豆の餡が間に合わなかった事もあり、おやきの皮とほぼ同じレシピの生地を使って母が作ってくれた「薄焼き」が、もう一つの贈り物でした。



母のレシピでは、これに信州味噌をつかった味噌ダレを付けて食べます。



私事の、しかもローカル120%の話題でしたが、あえて紹介させていただいたのは、御家族や御親戚など皆さまにとって大切な存在から、好きなこと、好きな食べ物、レシピなどを傍にいてくれるうちから一つでも教えてもらっておくと、私のような後悔をすることも少しはなくすることが出来るのかなと、老婆心ながら長々と綴ってみた次第です。

ありがとうございましたm(__)m


久しぶりの。。。

2017-02-11 | だんなブログ
皆さま、お久しぶりですm(__)m

庭主のだんなです。

今日は、祝日の『建国記念の日』で、庭主とハイジと三匹で久しぶりにのんびり過ごせています。



あっ!祝日と言っても土曜日と重なるので、祝日という気になれない~という意見も聞かれますね。
特に、今年は祝日と土曜日が重なる日が多いので、がっかりしている人も多いとか。。。

だんな的には、仕事の性質上、祝日でもお休みでないことがほとんどなので、そうなのかぁという感じです。
例年は、世間さまがお休みなのを横目に仕事に行っていたので、皆さんと歩調を合わせられて嬉しいような(笑)

2月11日は、幼少期に世話を焼いてくれた祖母の誕生日で、亡くなってからは、休みならば実家に行ってお線香をあげたいなぁ、といつも思っていたので、特にこの日だけは覚えていたんです。



そこで、あまり自分には関係ないのですが(笑)
ニュースに貼られているリンクなどで、祝日についてつらつら眺めてみると。。。

正確には、『国民の祝日』と言うんですねぇ。
年がばれますが、私たちの子供の頃のは祭日と言っていたような覚えが。


法律としては、祝日法として適用され、祝日法1条で下記のように規定されているようです。
「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」

う~ん、久しぶりに法令を読みましたが、サビついているアタマに潤滑油を差さないとムリそうなので、ここまでにして(;'∀')


なるほど!私の理解できるレベルとしては、つまり ~ お祝いをして、感謝をする日 ~ なのですね。


ここのところ、我が家ではいろいろともろもろありまして、週末もゆっくり出来ない日が続いていたので、こうしてハイジに見守られながらゆっくりと過ごせる事は、ほんとうに感謝だなぁと思います。
そういう気持ちでふと隣を見ると、最近お疲れ気味の庭主と、庭主に甘えたいハイジが、二匹で仲良くお昼寝中(-_-)zzz

そこで、久しぶりにだんなブログを。。。と思いたった次第です。



そんなわけで、とりとめのない文章になってしまい、昼寝から起きた庭主からは、バラの剪定をしたら~なんて言われるかもですが(^^;

はいはい、明日は我が家のバラのお世話をさせていただきます('◇')ゞ