菅さんが、原発事故で事故現場や東電に乗り込んで行ったり、指示をしたという件で、過剰干渉あるいは、「マイクロマネジメント」ではないか(菅直人リスクとも言っているが)と批判されている件について。
5月29日の東京新聞「こちら特報部」では、改めて検証している。そして、こんな状況では誰が総理大臣でも同じような状況になる可能性があったと、結論づけている。
WEB版には出ていないので、メモのために。以前も良記事を書いて下さった小栗康之氏の記事。
以下記事一部抜粋。
私も、まったく同感だけれども、更にいうなら、「菅さんの過干渉がなければ日本はどうなっていたのか」という視点が批判する側にはすっぽり抜け落ちているのです。
事故当時、菅内閣の内閣審議官であった下村健一さんが、「そんな事まで一国の首相がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない技術系トップたちの有様に、(中略)ぞっとした」ツイートしていたように、東電や専門家と言われている人たちが、フリーズしてしまい、どうしようもなかったこと。
かつて、いろいろな人達がこの国のリーダーだったし、リーダーになりえるけれど、この時、誰だったら、あの状況を突破できたのかということ。
ここ20年間の沢山のリーダーの顔をあれこれ思い描いてみて、その人の好き嫌いやいい悪いは別にして考えても、この時は、菅さんだったからこその強い突破力が功を奏した、ということが不幸中の幸いだったと思う。
他の人だったら、逆に怖かったと、心から思うのだった。
(25年前から注目していた私にとっては、菅さんが徒党を組まないと一人では何にもできない政治家とは一線を画した政治家だと知っているけれど、ここ何年かで、歪められ印象操作されてしまった菅直人しか知らない若い人たちは、本当の菅さんを知らなくてかわいそうだ。)
この事故の対処の不手際の最大の理由は、自ら作った安全神話に縛られて原発事故のリスクや対応、対処方法をしっかりと考えてこなかった原発推進勢力のリスクだった。
昨日朝も、日テレ系の「ウェークアップ」に出演した自民党の塩崎恭久氏が「菅直人リスク」と言っていたけれど、原発を推進していた勢力が、「菅直人リスク」という言葉でごまかして、こどもっぽい責任のがれをするのは、もういい加減、やめてほしい。
昨日、菅前総理は、静岡県で行われた講演で「来年までに実施される衆議院と参議院の選挙を原発をめぐる国民投票のような形にすべき」と訴えた。
菅前首相「衆参選挙を原発国民投票に」
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5月29日の東京新聞「こちら特報部」では、改めて検証している。そして、こんな状況では誰が総理大臣でも同じような状況になる可能性があったと、結論づけている。
WEB版には出ていないので、メモのために。以前も良記事を書いて下さった小栗康之氏の記事。
以下記事一部抜粋。
菅氏、過剰干渉の背景とは
「マイクロマネジメント」とは、部下に対し、細かな情報提示を求めるなど、トップが過剰に干渉するやり方。組織のやる気を奪いやすい。
三月公表の事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書では、当時の菅氏のトップダウン的やり方を肯定的に評価する一方、「首相自身による細かな技術判断や情報収集課程への関与を過剰なマイクロマネジメントとして批判する声もある」とも指摘している。短気な性格が影響したといった批判もあった。
これに対し菅氏は、「気負いはなかった。しかし情報として(自分のところへ)上がってきていいものが、上がってこない。怖さを感じた。これでは手のうちようがないという怖さだ。」と心情を吐露。別の質問には、「事故の初日、2日目、東電から(状況を)説明できる人は来なかった」と述べた。
放射性物質が大量に拡散する可能性があるという深刻な状況にもかかわらず、情報が入ってこない。パニックとは言わないまでも、首相が感じた「恐怖」の大きさはある程度理解できる。
こうした菅氏の心理状態について、人材コンサルト会社「スタントンチェイスインターナショナル」(東京)の竹内美奈子副社長は、「マイクロマネジメントは、相手の能力を信用出来ない時や、十分に成熟していない組織で起きがちな現象」と話す。
未曾有の震災と原発事故を体験して、菅氏は当時、こうした災害を「想定」した行政機構を持たず、事故を起こした当事者企業からも情報が来ないという状況に立たされていた。
さらに東京電力、官僚側を全面的には信頼できないと感じている心情を加味すれば、「マイクロマネジメント」が極めて起きやすい環境だった。
菅氏は「恐怖」を感じながらも、首相として何とかしなければ、という気持ちになっていた。誰が首相であっても同じような状況に陥る可能性は否定出来ない。
こうした状況を回避することはできなかったのか。竹内氏は、「菅氏の恐怖の最大の原因は、こういう場合に対応できる組織が整備されていなかったこと。ちゃんと整えておけば、トップが『恐怖』を感じることも、マイクロマネジメントの発生からも免れることができたのはではないか」と語る。
「問題行動」と批判されてきた震災直後の菅氏の動きは、個人の性格というより、原発事故を含めた危険を甘く想定してきた政府組織自体に原因があると言えそうだ。
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「マイクロマネジメント」とは、部下に対し、細かな情報提示を求めるなど、トップが過剰に干渉するやり方。組織のやる気を奪いやすい。
三月公表の事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書では、当時の菅氏のトップダウン的やり方を肯定的に評価する一方、「首相自身による細かな技術判断や情報収集課程への関与を過剰なマイクロマネジメントとして批判する声もある」とも指摘している。短気な性格が影響したといった批判もあった。
これに対し菅氏は、「気負いはなかった。しかし情報として(自分のところへ)上がってきていいものが、上がってこない。怖さを感じた。これでは手のうちようがないという怖さだ。」と心情を吐露。別の質問には、「事故の初日、2日目、東電から(状況を)説明できる人は来なかった」と述べた。
放射性物質が大量に拡散する可能性があるという深刻な状況にもかかわらず、情報が入ってこない。パニックとは言わないまでも、首相が感じた「恐怖」の大きさはある程度理解できる。
こうした菅氏の心理状態について、人材コンサルト会社「スタントンチェイスインターナショナル」(東京)の竹内美奈子副社長は、「マイクロマネジメントは、相手の能力を信用出来ない時や、十分に成熟していない組織で起きがちな現象」と話す。
未曾有の震災と原発事故を体験して、菅氏は当時、こうした災害を「想定」した行政機構を持たず、事故を起こした当事者企業からも情報が来ないという状況に立たされていた。
さらに東京電力、官僚側を全面的には信頼できないと感じている心情を加味すれば、「マイクロマネジメント」が極めて起きやすい環境だった。
菅氏は「恐怖」を感じながらも、首相として何とかしなければ、という気持ちになっていた。誰が首相であっても同じような状況に陥る可能性は否定出来ない。
こうした状況を回避することはできなかったのか。竹内氏は、「菅氏の恐怖の最大の原因は、こういう場合に対応できる組織が整備されていなかったこと。ちゃんと整えておけば、トップが『恐怖』を感じることも、マイクロマネジメントの発生からも免れることができたのはではないか」と語る。
「問題行動」と批判されてきた震災直後の菅氏の動きは、個人の性格というより、原発事故を含めた危険を甘く想定してきた政府組織自体に原因があると言えそうだ。
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私も、まったく同感だけれども、更にいうなら、「菅さんの過干渉がなければ日本はどうなっていたのか」という視点が批判する側にはすっぽり抜け落ちているのです。
事故当時、菅内閣の内閣審議官であった下村健一さんが、「そんな事まで一国の首相がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない技術系トップたちの有様に、(中略)ぞっとした」ツイートしていたように、東電や専門家と言われている人たちが、フリーズしてしまい、どうしようもなかったこと。
かつて、いろいろな人達がこの国のリーダーだったし、リーダーになりえるけれど、この時、誰だったら、あの状況を突破できたのかということ。
ここ20年間の沢山のリーダーの顔をあれこれ思い描いてみて、その人の好き嫌いやいい悪いは別にして考えても、この時は、菅さんだったからこその強い突破力が功を奏した、ということが不幸中の幸いだったと思う。
他の人だったら、逆に怖かったと、心から思うのだった。
(25年前から注目していた私にとっては、菅さんが徒党を組まないと一人では何にもできない政治家とは一線を画した政治家だと知っているけれど、ここ何年かで、歪められ印象操作されてしまった菅直人しか知らない若い人たちは、本当の菅さんを知らなくてかわいそうだ。)
この事故の対処の不手際の最大の理由は、自ら作った安全神話に縛られて原発事故のリスクや対応、対処方法をしっかりと考えてこなかった原発推進勢力のリスクだった。
昨日朝も、日テレ系の「ウェークアップ」に出演した自民党の塩崎恭久氏が「菅直人リスク」と言っていたけれど、原発を推進していた勢力が、「菅直人リスク」という言葉でごまかして、こどもっぽい責任のがれをするのは、もういい加減、やめてほしい。
昨日、菅前総理は、静岡県で行われた講演で「来年までに実施される衆議院と参議院の選挙を原発をめぐる国民投票のような形にすべき」と訴えた。
菅前首相「衆参選挙を原発国民投票に」
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草の根、静かに激変中
もし、私の読解力不足で、的はずれなお返事であるならお許し下さい。
老子は、良いリーダーとは、目立たないリーダーといいました。
例えば、一方的に上から国民に「節電しなさい」というのではなく、
情報をすべて正直に出して、だったらどうすべきか、自分にできることは何かと、国民が自発的に考えて行動できる環境を作るリーダーが、良いリーダーと私は解釈しています。
しかし、江戸時代よりずっと、お上意識が強かった日本においては、寄らば大樹、長いものにはまかろのことわざ通り、国民が自分で何とかするというような意識が未発達な人も多いのかもしれませんね。
しかし、3・11をきっかけに、いろいろな分野で目覚めた人々が増えてきたようにも感じます。
特に若い人達に。
(反対に、3・11を無理やり忘れようとして、逆のベクトルに動いて、欲望に走って忘我の境地に入っている人も多いようですが・・・)
日本民族の資質:下働きとしては優秀、政治指導者としては愚鈍
下の者は、現世に埋没している。「世の中は、、、、」の発想法に甘んじている。
忍耐と努力が必要である。不自由を常と思えば不足なしか。各国から賞賛されている。
上の者には、哲学がない。あるべき姿の内容を脳裏に蓄えることができないでいる。
我々の遠い未来に行き着く場所を示していない。だから、非現実の世界を基準にたてて批判することは難しい。
「そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなってはいない」と言い返されて終わりになる。やはり、現世埋没型である。
現在構文ばかりの言語で、非現実を語れば、それはこの世のウソである。
「現実を無視してはいけない」「現実を否定することはできない」などという精神的な圧迫がかかっている。
上の者には、自己の現実対応策 (成案) に説得力を持たせる意思が必要である。
自己の意思を示せば当事者になる。示さなければ傍観者にとどまる。
だが、意思は未来時制の内容で、日本語には時制はない。
我が国は、世界にあって世界に属さず。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/