9月3日の東京新聞に、気仙沼舞根地区では、津波で流された宅地跡が湿地化し、干潟が再生されだしたという記事が出ていました。
ウエブ版には、出ていなかったので検索すると、河北新聞の5月28日の記事にみつけました。
NPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さんの息子さんで、副理事長の畠山信さんが中心となって、ここを干潟として保全しようとしているそうです。
以下記事全文
3日の東京新聞によれば、高台への移転を決めた舞根地区では、海岸に防潮堤を作らないように要望を出し、市側も現時点では建設予定はないという。
しかし、岩手、宮城両県の三陸沿岸部では、震災を受けて最大15,5メートルの巨大堤防が計画されている。
せっかく再生した干潟、このまま自然にお任せして、絶対に守ってほしいと思わずにいられません。
自然の大いなる営みは、人間の浅知恵を凌駕するかのように、すべてを飲み込んでしまうことができるけれど、必ず本来あるべき姿に返してくれると感じます。
それは人間のためだけじゃなくて、地球にあふれるすべての命にとって良い方向にもどしてくれること・・・地球の、宇宙の大いなるパワーであり、天の理であり、大道であり、法であるのだと感じます。
しかし、そこに放射性物質という厄介な代物が関わってくると、その回復には膨大な時間がかかり、次の世代、ずっとずっと次の世代まで禍根を残してしまうのです。
人類を代表するかのように、日本人はあの震災と原発事故を経験して、天から教えていただいたことがたくさんあると思います。
まっさきに思い浮かぶのは、「責任の取りようのないもの、人類の手に余るものは手放さなければならない」ということです。
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自然は回復する 水俣からチェルノブイリそして・・・
ウエブ版には、出ていなかったので検索すると、河北新聞の5月28日の記事にみつけました。
NPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さんの息子さんで、副理事長の畠山信さんが中心となって、ここを干潟として保全しようとしているそうです。
以下記事全文
2012年、春/気仙沼・舞根(下)浸水域/干潟として守りたい
アサリの稚貝を観察する畠山さん。
地盤沈下した一帯は干潟に近い状態に
なっている=気仙沼市唐桑町
東日本大震災の津波で住宅の8割が流され、コンクリートの基礎だけが残る。気仙沼市唐桑町の舞根地区は傷跡がいまだ色濃い。
地元のNPO法人「森は海の恋人」の副理事長畠山信さん(33)の表情に悲壮感はない。「これを見てください」。差し出した手のひらに、1センチほどの白い貝があった。
「これはアサリの稚貝。震災で地盤沈下した一帯が、多様な動植物が生息する干潟に生まれ変わろうとしているんです」
畠山さんは養殖業の一家に生まれ、カキやホタテの生産に携わった。NPOでは、舞根の豊かな自然を生かした子ども向けの環境体験学習に力を入れてきた。
昨年3月11日、大津波は畠山さんの借家と養殖施設をのみ込んだ。周辺はがれきの山と化した。岸壁では、ホタテが口を開けたまま無残な姿をさらした。
美しかった古里の海は黒く濁り、動植物は死滅した。「しばらくは漁業はできない」と諦めた。がれきの片付けなどに汗を流した。
昨年6月。岸壁から海をのぞくと、小さな魚が泳いでいるのが見えた。体長4センチほどのボラの群れだった。「舞根湾に生き物が戻ってきた」。うれしくて、思わず小躍りした。
9月には、キヌバリの稚魚や海草のアマモを見つけた。ハクチョウやサギなどの野鳥も、エサを求めて水辺に飛来した。ことし1月には海辺で天然のアサリの稚貝を発見した。
50年ほど前まで、舞根は干潟が広がっていた。護岸工事で多くが失われたが、震災による地盤沈下により、一帯は湿地帯として生まれ変わろうとしていたのだ。
津波の浸水域では、住民が高台への集団移転を計画している。
「それならば、人の住まない低地は干潟として残し、環境教育などをするフィールドとして活用しようと思った」
「浸水域を干潟として保全しよう」。畠山さんはことし2月から、地域の集会などで住民らに訴えている。
畠山さんの動きに、専門家も呼応した。
首都大学東京の横山勝英准教授(41)=環境水理学=は、湿地の水質調査を手伝っている。「日本では海岸工事が進み、塩性湿地が姿を消している。計画が実現すれば、消滅した干潟が再生する日本で初のケースになる」と語る。
課題もある。宮城県が示した舞根湾の計画堤防の高さは9.9メートル。建設されれば、干潟は再び消える。舞根の美しい景観も損なう。
「自然を残すことで産業や雇用を生み出すことができる。集団移転で低地に人は住まないのだから、そもそも堤防を建設する意義が薄らいでいるのではないか」
森と海が一体でつながっているのがリアス式海岸の魅力だ。「せっかくできた干潟を守りたい」。畠山さんらは近く、堤防を建設しないよう求める要望書を行政に提出するつもりだ。
2012年05月28日月曜日
アサリの稚貝を観察する畠山さん。
地盤沈下した一帯は干潟に近い状態に
なっている=気仙沼市唐桑町
東日本大震災の津波で住宅の8割が流され、コンクリートの基礎だけが残る。気仙沼市唐桑町の舞根地区は傷跡がいまだ色濃い。
地元のNPO法人「森は海の恋人」の副理事長畠山信さん(33)の表情に悲壮感はない。「これを見てください」。差し出した手のひらに、1センチほどの白い貝があった。
「これはアサリの稚貝。震災で地盤沈下した一帯が、多様な動植物が生息する干潟に生まれ変わろうとしているんです」
畠山さんは養殖業の一家に生まれ、カキやホタテの生産に携わった。NPOでは、舞根の豊かな自然を生かした子ども向けの環境体験学習に力を入れてきた。
昨年3月11日、大津波は畠山さんの借家と養殖施設をのみ込んだ。周辺はがれきの山と化した。岸壁では、ホタテが口を開けたまま無残な姿をさらした。
美しかった古里の海は黒く濁り、動植物は死滅した。「しばらくは漁業はできない」と諦めた。がれきの片付けなどに汗を流した。
昨年6月。岸壁から海をのぞくと、小さな魚が泳いでいるのが見えた。体長4センチほどのボラの群れだった。「舞根湾に生き物が戻ってきた」。うれしくて、思わず小躍りした。
9月には、キヌバリの稚魚や海草のアマモを見つけた。ハクチョウやサギなどの野鳥も、エサを求めて水辺に飛来した。ことし1月には海辺で天然のアサリの稚貝を発見した。
50年ほど前まで、舞根は干潟が広がっていた。護岸工事で多くが失われたが、震災による地盤沈下により、一帯は湿地帯として生まれ変わろうとしていたのだ。
津波の浸水域では、住民が高台への集団移転を計画している。
「それならば、人の住まない低地は干潟として残し、環境教育などをするフィールドとして活用しようと思った」
「浸水域を干潟として保全しよう」。畠山さんはことし2月から、地域の集会などで住民らに訴えている。
畠山さんの動きに、専門家も呼応した。
首都大学東京の横山勝英准教授(41)=環境水理学=は、湿地の水質調査を手伝っている。「日本では海岸工事が進み、塩性湿地が姿を消している。計画が実現すれば、消滅した干潟が再生する日本で初のケースになる」と語る。
課題もある。宮城県が示した舞根湾の計画堤防の高さは9.9メートル。建設されれば、干潟は再び消える。舞根の美しい景観も損なう。
「自然を残すことで産業や雇用を生み出すことができる。集団移転で低地に人は住まないのだから、そもそも堤防を建設する意義が薄らいでいるのではないか」
森と海が一体でつながっているのがリアス式海岸の魅力だ。「せっかくできた干潟を守りたい」。畠山さんらは近く、堤防を建設しないよう求める要望書を行政に提出するつもりだ。
2012年05月28日月曜日
3日の東京新聞によれば、高台への移転を決めた舞根地区では、海岸に防潮堤を作らないように要望を出し、市側も現時点では建設予定はないという。
しかし、岩手、宮城両県の三陸沿岸部では、震災を受けて最大15,5メートルの巨大堤防が計画されている。
せっかく再生した干潟、このまま自然にお任せして、絶対に守ってほしいと思わずにいられません。
自然の大いなる営みは、人間の浅知恵を凌駕するかのように、すべてを飲み込んでしまうことができるけれど、必ず本来あるべき姿に返してくれると感じます。
それは人間のためだけじゃなくて、地球にあふれるすべての命にとって良い方向にもどしてくれること・・・地球の、宇宙の大いなるパワーであり、天の理であり、大道であり、法であるのだと感じます。
しかし、そこに放射性物質という厄介な代物が関わってくると、その回復には膨大な時間がかかり、次の世代、ずっとずっと次の世代まで禍根を残してしまうのです。
人類を代表するかのように、日本人はあの震災と原発事故を経験して、天から教えていただいたことがたくさんあると思います。
まっさきに思い浮かぶのは、「責任の取りようのないもの、人類の手に余るものは手放さなければならない」ということです。
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