コロナワクチン接種した人のその後をツイートしてくださっているAさんのツイートが止まらない。
次々と新たな事例が出て来るので次々と上書きされてしまうのだ。
#イベルメクチン←予防薬/治療薬 候補こちらは「24日の朝10時に摂取して、25日の朝2時に嘔吐、血圧低下、ショック状態になった。25日の午後4時に亡くなった」というツイート。 pic.twitter.com/IyA2jgI7c5
— A (@na98731312) May 26, 2021
#イベルメクチン←予防薬/治療薬 候補こちらは「普通に帰宅したが、夜に体調急変し翌日死亡」というツイート。 pic.twitter.com/BTFZmU8ATI
— A (@na98731312) May 25, 2021
そのAさんのこのツイート。本当に強く同意した。
#イベルメクチン←予防薬/治療薬 候補・副反応・接種しても感染する・イベルメクチンの存在等の情報が広がる前に接種しようと躍起です。主戦場がコロナからワクチンに移ってきました。私の血族はイベルメクチンのお陰で安全ですが今度は「ワクチン打つんジャー」と戦うハメになるとは・・・ pic.twitter.com/0hWeyCVgd7
— A (@na98731312) May 25, 2021
・副反応
・接種しても感染する
・イベルメクチンの存在
・接種しても感染する
・イベルメクチンの存在
なぜ隠すのか。次々と接種会場で喜び勇んでワクチンを打つ人々。そしてこれで安心して眠れると、ほっとする人の声。
そんなのばっかりテレビに映し出されたら、自分も遅れちゃならない、早く打ちたい、と思う人も多いでしょうが。
確かにワクチンしか打つ手がないなら、リスクも知った上で、覚悟して打てばいいと思うけど、現実、イベルメクチンという安全で飲みやすく、治療薬としても予防薬としても、世界中で役に立っているお薬があるのに、あえて無視している日本及びWHOや先進国の医療機関。
しかも、早く打て打てとせかすばかりで、副反応の事例、死亡の事例は、表に出さないから、打つ人の自覚や覚悟も持てぬまま、誓約書にサインして、副反応が起こっても自己責任でかたづけられる。
そして、万が一死んでしまっても、それは他の病気だった、あるいは因果関係不明と言い含められる。
コロナに勝つためなら、多少の犠牲は仕方ない、というのは、戦争の理論と同じ。それは人からエネルギーを奪うフォースの思考です。
モーニングショーの玉川さんも、ここに来て、ついに0.1Fに固定化されてしまった。
じゃあ、自分が死ぬ目に遭っても同じ事が言えるのか。
自分の家族が、これでコロナから逃げられると無邪気に接種したあとに、副反応で死の淵をさまよっても、最悪死んでしまっても、同じ事が言えるのか。
パワーは、基本に優しさがあるから、どんな命も守ろうとする。それが大前提にある。
しかし、ワクチン接種派は、たとえ死人が出ても、ワクチンをみんなが打つことはとても良いことだと言う。
「理由があれば人を殺してもいい」フォースにはそんな理由が必要だが、ワクチン接種も同じ事だ。
イベルメクチンなら、少なくともそれによって死ぬ人はいないのに、それはあえて無視する。
主戦場がコロナからワクチンに移ってきました。
私の血族はイベルメクチンのお陰で安全ですが今度は「ワクチン打つんジャー」と戦うハメになるとは・・・
私の血族はイベルメクチンのお陰で安全ですが今度は「ワクチン打つんジャー」と戦うハメになるとは・・・
これもね。
映画エヴァンゲリオンのテーマの意識レベルはとても高いと、うちの不思議人間が言っていたけど・・・
エヴァンゲリオン、最初は「使徒」と呼ばれる、その都度、違う形態になる不思議な敵と戦ってきた。それはあたかも、変異するウイルスのようだった。
しかし、14年後の次の展開では、突然、ともに戦っていた味方と思っていた人々が互いに敵となり戦っていた。昨年は信頼を寄せていたモーニングショーが、今年になって自分に攻撃を仕掛けてくるような気持ちになってしまった。

エヴァンゲリオンから見える、こういう人間社会の宿痾を今まさに、追体験していると思うのは、私だけだろうか。
→エヴァンゲリオンを見た感想
ラストがどうなるのかは、最後の映画を見ていないので、残念ながらわからない・・・。
イベルメクチンは今やわずかの週刊誌、雑誌しか取り上げない。
テレビや新聞はイベルメクチン・シカト大作戦、自主忖度?何で戦わないの?
コロナに打ち勝つためには、ワクチンしかない?死人が出ても仕方ない?
狂っていることが表に出てくる意識の二極分化が起こっているので、世界各国の人権侵害、環境破壊、強欲資本主義と、IOC含めてオリンピック関係各位、ビッグファーマとWHOも含めて、あまりにも理不尽でひどいことが目に余る。
暗澹たる気持ちになることもあるけど、明けない夜はない。
孤独や寂しさを感じても、私たちは一人ではないから。まだ出会えていなくても、今は知らなくても、必ず見えない糸でつながっている仲間がきっといるから。
→未来はやさしい人たちに託される