嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

透明な水を飲んで熱が伝わる。

2007年11月02日 14時06分01秒 | 駄文(詩とは呼べない)
たぶん、人がどこかへ向かって踏み出す時、
それが新しいことだと感じるワクワクする歩みだし方で接するか、
あるいは全般的に自分がとてもやわらかくて、
日常的にいろんな見方を変えていける素直な見方、

安っぽく書いてしまえば
未来が希望で満たされてる時の方が、
踏み出すことが簡単なんだと思います。

たぶんこれ、わざわざ書き出さなくても、
常識的にというか、最初から身についてるような感覚なんだと思います。

でもさ、意識が胎児の時に芽生えた人と、
産声をあげて、肺呼吸に変わってから芽生えた人では、
やっぱりどこかに差があると思わない?

未来に全く希望があろうが無かろうが、
生まれることが祝福される胎児は、
外へ向かって泳ぐわけですよね。
そのとき、僕らにそなわってる能力ってなんですか?
つまり、感覚とか、予感とか、無垢であるとか、
別に表現なんでもいいんだけど、
生まれる前の胎児は、どうして自分が生まれる事を知ってるんです?

これ、間違いだと思うんですよ。
僕の文章が。

いきむ

という言葉がありますよね。
僕の記憶では家庭科の授業で習った言葉だったかな?
あれ、今の人間にとっては、宇宙の形が変わる事と似ていませんか?

青年期や思春期における自己自立の話に見立てると、
親は見守っていなくてはならない。
目を離してはならない。
けど、必要以上に助けてはならない。

神様が人間をいちいち助けますかね?
助けないんですよ。
時にはあっさり死ぬのが人間ですよね。
で、あれば、
最初に作られた観念の発想を
アイディアと呼ばれるインターフェイスを通して、
つまりイメージそのものを媒介として、
僕らは向こう側に手を伸ばすはずでしょ?

例えばこの世界の人たちが、歴史的な見方をして
奴隷であると言うのなら、
神は人間をシステムによって調教しなくてはならない。
あらゆる善意は、悪意からの調教を受けて育たなくてはならない。

これは、システムと神と人間が対等ではありませんよね。
対話なんか成り立たない。

じゃぁなんで信者は神に祈るのかってことですよ。
拒否される人間に向かっての握手とは違いますよね。
あんま違うとか、同じとか書いてもしょうがないんですが。
道筋のことなんで。

要するに、僕らが行うキャッチボール、
球は一つじゃないんですよね。
僕が死体であるとき、球はひとつなんです。
そこを、孤独を使ってどう読み取るかですよね。

でも、僕らの球がいわゆるあちら側
から発せられているのなら、

それは宇宙が羊水で満たされていて、
僕らはそこを宇由に泳ぐことができる。
魚であることを思い出すなんて関係ない。
蜘蛛が蜘蛛の巣を張って移動するのと同じように、
物質の世界では、いつもエネルギーで満たされていて、
いろんなダークマターが引き合って光の糸を引き合ってるわけです。

もし、このことを「はじまりからおわりにむけて」の尺度で切り取ってしまうなら
僕らは葬式をする必要なんて最初から無かったわけですよ。
もちろん逆でも一緒です。「未来から記憶に向けて」であったとしても。
これは膨張と爆縮のものさしで世界を測ることなんです。

裏と表が溶けあっているクラインの壺を想ってください
光と闇に分かれてるところと、わかれていないところがある。
想像しにくかったらメビウスリングでもいいです。
裏と表が繋がっているリボン。

これ、引っ張ってるのは。
つまり、胎児を祝福していきんでいるのは、胎児じゃないですか?
だから僕らにとって、孤独はそんなにひどいものじゃないと思うんです。

もし、僕らの意識が、認識せずに、なにもかもを知ろうとせずに、
それでも他者のままでいられるなら。
死ぬことだって、新しい世界の始まりでしょ?
君にとっての。

何かが終わることで、何かが始まるわけじゃない。
何かが終わるよりも前に、すでに何かが始まっていた。
それでも僕らの尺度は、何かを知ろうとしてしまった。
理解しようとしてしまった。

そういうことなんじゃないの?

すべてを通り抜けることのできる透明な眼があったのなら。
僕らのイメージは、いつもすべてを透き通って見渡して、
どこへでもゆけるから、何も知ることはできない。
それは儚くも激しくも無いけれど、きっと美しい。

僕はそういうものでありたいと思うけどな。
今が。