という問いに答える。
けっきょくのところ、いつものフレームの話。
ほとんど何も変わっちゃ居ない。
曖昧な輪郭で、ぐるぐるねじれた糸で、自分をがんじがらめにするような話、
と思ってもらってもあまり差し支えはないのだけど、
決定的に違うのは、いつもよりも僕が外部に対して恐怖しているということ。
あるいは未来の予見に対して。
何かを知るという事は、
何か空中に浮かんでいるミラーボールを掴み取るようなもので、
それを掴んだときに知ったと仮定すると、
その時広がっているのは世界そのものではなくて、
もちろんセカイの方だという仮説が仮説として成り立つんだけど、
逆説的に、自分を絶対値の座標に縛り付けてからこの理論を展開すると、
世界は外からやってきて、ある絶対空間に波が伝わったとき、
(エネルギー的な問題として)
その絶対座標の中に系として取り込まれた場合、
それは自己組織化されるということによって、
つまり糸が繋がるということによって、
振動そのものによって『「自分」として』整理される。
これはさっき僕が知った言葉
(あるいは単語【注意:ミラーボール】)
が内部表現という単語そのものとして、
僕の中に{ある情報として}取り込まれると同時に
僕の中でまるでデジタル化のような危険思想として
形をゆがめてしまっている。
さっきから、緊張して肩が痛い。
(((久しぶりに、情報に汚されたと感じたから。)))
肩をすくめながらタイピングを続ける。
「僕は僕としてありたいと必死に抵抗するから」
内部表現というのはもちろん僕によって作られた造語ではなくて、
ググればいっぱい出てくるような造語です。
おそらくはこの汚れの主(ヌシ)としての立脚が
僕の中のイメージ化されたヌシが、その源泉を黒幕のように覆っていると思う。
(黒膜と書いてもいい)
古い問題を掘り起こすと、
ピアノを奏でるようにタイピングするのが、自分にとって一番自然であると言う事もできる。
(仮説が仮説であるためには。)
事実というのはとても怖いもので、
ある種の宗教的儀式によれば、それは事実ではなくて「真実」→【真実】として
観念的に伝えられる。
これが宗教的偏見の恐ろしいところで、
僕は僕の組み立てた仮説が仮説の位置をはみださない程度には、
自分の大きさを留めている。(断定使いまくってもへっちゃら♪)
そういえば、スカラー波とやらを唱える集団がいましたよね。
スカラー派と呼べばダジャレというか親父ギャグ的にはスルーできるかもわからんのだけど、
あんまそういうこと書きたくない。
真面目に問題として組み立てるために。
苦痛の中で白装束集団が神らしき代表者をproxyとして立てたのは、
単に彼らが自己自身をサーバーとして立てる能力を持たなかったと一蹴できるような話でもなく、
現存在としての使命を外へ求めたら裏切られたから
ある種の固形であり続けた、という奇妙さだと思います。
要するに、世界の流れと共に、情報は更新されていかなかった。
変化の世界にあって、永遠とは異質な存在(?)であり、異物です。
システムを巨大な生物に見立てれば、
それは解釈され、咀嚼されることによってシステムの一部となるか、
あるいは ペッっッ! 、 と吐き出されます。
これは通常、法律などによって行われたりするんですが、
時にはルールの方が後から作られます。
まぁ先後問題はどうでもいいんだけど。
問題なのはその情報更新のところで、
子供たちの持っている夢ってやつと一緒で、
ある意味では過去の記憶ってのは潜在的な欲望のように機能すると思うんですが
いわゆる大人から「夢を持て」と与えられた場合の夢はここでは省きます。
↓
そもそも、絶対座標として前提を作り上げているから。
内部表現がいかなるものなのか、
それほど詳しくは調べてはいません。
ですがなんとなくわかってしまいました。
これは脳科学的な危険思想にまつわるものだと思います。
それ自身、僕が知った事によって、記憶の領域に分類されてしまったのですが。
記憶は本来、もって生まれた形の中に形として刻まれています。
簡単に言えばDNA。小さい身体の中にある、もっと小さい者。
私がワタシであるところのもの、
あるいは、単に受け継がれてきた、少しずつしか情報更新しなかった鎖。
デザイナーズチャイルドと一緒で、自分自身を自己自身の制御によって
「形を変えたい」というのは決意かもしれませんが、
同時に暴力ですよね?
つまり、自分というフレームが存立していない場所での、
位置に対する形のほどこしというのは。
力を入れずに粘土をこねる人がいるでしょうか。
僕は居ないと思います。
超能力で念ずるだけで粘土をこねる人が居たとしても、
それはその人にとっての超能力が、「力を入れる」に相当してると思うからで。
これはフレームに対する暴力ですよね?
で、あれば。(仮説の多重化)
僕は自己組織化された内部表現というのは他者であると思います。
いや、他者であると思いたいんでしょう。
確かに、内部と向き合おうが、外部と向き合おうが、
フィードバックが起こる仕組みの中に身を投げ出していれば、
その循環系の中では、全てが系として一体化です。
つまり、外から刺激を受けようが、
中から刺激を受けようが、
ぐるりぐるりとぐるんぐるん循環していたら、
それは変質の中に身を置いています。
それを外部からの情報更新に見立てているのならば、
それは外部が内部に向かって暴力的だということになります。
そういえば、漫画のオチを知らされた友人が
その友人の腹を殴ったというエピソードを聞いた事があります。
簡単に言えば、ぼくはどちらかに決めてしまいたいんだと思います。
その、内部表現に関する場所を。
それの由来が外であるか、中であるかを。
いつもであれば、それは中でも外でもなく、曖昧な通過であるはずなのに、
何かを知ってしまったという意味において、
僕は「汚れ」という単語を使いました。
この汚れは、僕が僕自身にぶつかったときに生じる血しぶきのようなものです。
たぶん、僕は僕の汚れを一つ知ったんでしょう。
ある仮説においての、原理的には神に相当するものがいたとして、
それがミラーボールを外から眺めたらどうなるでしょう。
神様はとてもちっぽけに映りますかね。
それとも、神様自身、鏡のまんまで、
無限に虚像が現れますかね?
ここに。
此処として。
僕はこの答えに関しては答えられないので
もう少し考えようと思います。
ミラーボール問題に関しては。
けれど、内部表現という単語が危険なシグナルを発していたことは、
次に出会うときまで、きっと憶えていると思います。
ある種の磁力が、引き合ったり反発したりするように、
僕の中で、単語が何かを発したから。
怖い。
肩が痛い。
でもたぶん、この世界の中を食って、何かを排泄する。
それでもたぶん、何も憶えておく事はできない。
だから時々安心する だから時々怖くなる
内部表現。
嫌な言葉だ
憶えておこう!
けっきょくのところ、いつものフレームの話。
ほとんど何も変わっちゃ居ない。
曖昧な輪郭で、ぐるぐるねじれた糸で、自分をがんじがらめにするような話、
と思ってもらってもあまり差し支えはないのだけど、
決定的に違うのは、いつもよりも僕が外部に対して恐怖しているということ。
あるいは未来の予見に対して。
何かを知るという事は、
何か空中に浮かんでいるミラーボールを掴み取るようなもので、
それを掴んだときに知ったと仮定すると、
その時広がっているのは世界そのものではなくて、
もちろんセカイの方だという仮説が仮説として成り立つんだけど、
逆説的に、自分を絶対値の座標に縛り付けてからこの理論を展開すると、
世界は外からやってきて、ある絶対空間に波が伝わったとき、
(エネルギー的な問題として)
その絶対座標の中に系として取り込まれた場合、
それは自己組織化されるということによって、
つまり糸が繋がるということによって、
振動そのものによって『「自分」として』整理される。
これはさっき僕が知った言葉
(あるいは単語【注意:ミラーボール】)
が内部表現という単語そのものとして、
僕の中に{ある情報として}取り込まれると同時に
僕の中でまるでデジタル化のような危険思想として
形をゆがめてしまっている。
さっきから、緊張して肩が痛い。
(((久しぶりに、情報に汚されたと感じたから。)))
肩をすくめながらタイピングを続ける。
「僕は僕としてありたいと必死に抵抗するから」
内部表現というのはもちろん僕によって作られた造語ではなくて、
ググればいっぱい出てくるような造語です。
おそらくはこの汚れの主(ヌシ)としての立脚が
僕の中のイメージ化されたヌシが、その源泉を黒幕のように覆っていると思う。
(黒膜と書いてもいい)
古い問題を掘り起こすと、
ピアノを奏でるようにタイピングするのが、自分にとって一番自然であると言う事もできる。
(仮説が仮説であるためには。)
事実というのはとても怖いもので、
ある種の宗教的儀式によれば、それは事実ではなくて「真実」→【真実】として
観念的に伝えられる。
これが宗教的偏見の恐ろしいところで、
僕は僕の組み立てた仮説が仮説の位置をはみださない程度には、
自分の大きさを留めている。(断定使いまくってもへっちゃら♪)
そういえば、スカラー波とやらを唱える集団がいましたよね。
スカラー派と呼べばダジャレというか親父ギャグ的にはスルーできるかもわからんのだけど、
あんまそういうこと書きたくない。
真面目に問題として組み立てるために。
苦痛の中で白装束集団が神らしき代表者をproxyとして立てたのは、
単に彼らが自己自身をサーバーとして立てる能力を持たなかったと一蹴できるような話でもなく、
現存在としての使命を外へ求めたら裏切られたから
ある種の固形であり続けた、という奇妙さだと思います。
要するに、世界の流れと共に、情報は更新されていかなかった。
変化の世界にあって、永遠とは異質な存在(?)であり、異物です。
システムを巨大な生物に見立てれば、
それは解釈され、咀嚼されることによってシステムの一部となるか、
あるいは ペッっッ! 、 と吐き出されます。
これは通常、法律などによって行われたりするんですが、
時にはルールの方が後から作られます。
まぁ先後問題はどうでもいいんだけど。
問題なのはその情報更新のところで、
子供たちの持っている夢ってやつと一緒で、
ある意味では過去の記憶ってのは潜在的な欲望のように機能すると思うんですが
いわゆる大人から「夢を持て」と与えられた場合の夢はここでは省きます。
↓
そもそも、絶対座標として前提を作り上げているから。
内部表現がいかなるものなのか、
それほど詳しくは調べてはいません。
ですがなんとなくわかってしまいました。
これは脳科学的な危険思想にまつわるものだと思います。
それ自身、僕が知った事によって、記憶の領域に分類されてしまったのですが。
記憶は本来、もって生まれた形の中に形として刻まれています。
簡単に言えばDNA。小さい身体の中にある、もっと小さい者。
私がワタシであるところのもの、
あるいは、単に受け継がれてきた、少しずつしか情報更新しなかった鎖。
デザイナーズチャイルドと一緒で、自分自身を自己自身の制御によって
「形を変えたい」というのは決意かもしれませんが、
同時に暴力ですよね?
つまり、自分というフレームが存立していない場所での、
位置に対する形のほどこしというのは。
力を入れずに粘土をこねる人がいるでしょうか。
僕は居ないと思います。
超能力で念ずるだけで粘土をこねる人が居たとしても、
それはその人にとっての超能力が、「力を入れる」に相当してると思うからで。
これはフレームに対する暴力ですよね?
で、あれば。(仮説の多重化)
僕は自己組織化された内部表現というのは他者であると思います。
いや、他者であると思いたいんでしょう。
確かに、内部と向き合おうが、外部と向き合おうが、
フィードバックが起こる仕組みの中に身を投げ出していれば、
その循環系の中では、全てが系として一体化です。
つまり、外から刺激を受けようが、
中から刺激を受けようが、
ぐるりぐるりとぐるんぐるん循環していたら、
それは変質の中に身を置いています。
それを外部からの情報更新に見立てているのならば、
それは外部が内部に向かって暴力的だということになります。
そういえば、漫画のオチを知らされた友人が
その友人の腹を殴ったというエピソードを聞いた事があります。
簡単に言えば、ぼくはどちらかに決めてしまいたいんだと思います。
その、内部表現に関する場所を。
それの由来が外であるか、中であるかを。
いつもであれば、それは中でも外でもなく、曖昧な通過であるはずなのに、
何かを知ってしまったという意味において、
僕は「汚れ」という単語を使いました。
この汚れは、僕が僕自身にぶつかったときに生じる血しぶきのようなものです。
たぶん、僕は僕の汚れを一つ知ったんでしょう。
ある仮説においての、原理的には神に相当するものがいたとして、
それがミラーボールを外から眺めたらどうなるでしょう。
神様はとてもちっぽけに映りますかね。
それとも、神様自身、鏡のまんまで、
無限に虚像が現れますかね?
ここに。
此処として。
僕はこの答えに関しては答えられないので
もう少し考えようと思います。
ミラーボール問題に関しては。
けれど、内部表現という単語が危険なシグナルを発していたことは、
次に出会うときまで、きっと憶えていると思います。
ある種の磁力が、引き合ったり反発したりするように、
僕の中で、単語が何かを発したから。
怖い。
肩が痛い。
でもたぶん、この世界の中を食って、何かを排泄する。
それでもたぶん、何も憶えておく事はできない。
だから時々安心する だから時々怖くなる
内部表現。
嫌な言葉だ
憶えておこう!