大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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「戦艦12隻」という本!

2015年02月09日 | 

昨日の原田は、「戦艦12隻」という本を読みました! この本は、国威の象徴として太平洋に君臨した日本の戦艦12隻の生涯を活写したノンフィクション作品で、潮書房光人社から昨年9月に出版されたものです。 私は出版と同時に購入して既に一度読んでるんですが、昨日再び読んでみました。

      

太平洋戦争中、日本には「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」「長門」「陸奥」「大和」「武蔵」 と全部で12隻の戦艦がありました。
各艦の概要と戦歴を書いてみます。

●《金剛型
この型の戦艦は一番古いにもかかわらず速力が速かったため、太平洋戦争で最も活躍しました。 日本の戦艦は、昔の日本の国の名前を付けることが慣例だったが、金剛型は当初、巡洋戦艦として建造されたため、山の名前が付けられています。

「金剛」=1913年8月16日にイギリスのビッカース社で竣工。 開戦時の南方作戦支援・インド洋作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島砲撃・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に参加、1944年11月21日に台湾海峡でアメリカ潜水艦の雷撃により沈没。潜水艦に撃沈された唯一の戦艦です。

「比叡」=1914年8月4日に横須賀工廠で竣工。 真珠湾攻撃・インド洋作戦・ミッドウェー海戦・第2次ソロモン海戦に参加、1942年11月13日に第3次ソロモン海戦で沈没。

「榛名」=1915年4月14日に神戸川崎造船所で竣工。 開戦時の南方作戦支援・インド洋作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島砲撃・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に参加、1945年7月28日に呉で空襲により大破着底。

「霧島」=1915年4月19日に三菱長崎造船所で竣工。 真珠湾攻撃・インド洋作戦・ミッドウェー海戦・第2次ソロモン海戦に参加、1942年11月15日に第3次ソロモン海戦で沈没。

●《扶桑型
この型の戦艦は、完成当時は世界一の巨艦だったが、太平洋戦争時には旧式化し、また速力も遅かったため、あまり活躍はできませんでした。

「扶桑」=1915年11月4日に呉工廠で竣工。 ミッドウェー海戦に参加、レイテ沖海戦に西村部隊(第3部隊)の1艦として参加したが、1944年10月25日に沈没。

「山城」=1917年3月31日に横須賀工廠で竣工。 ミッドウェー海戦に参加、レイテ沖海戦には西村部隊(第3部隊)の旗艦として参加したが、1944年10月25日に沈没。

●《伊勢型
扶桑型の改良型です。当初は扶桑型3番艦として建造の予定でしたが、扶桑型に問題が生じたため、改良を加えられました。ミッドウェー海戦で日本の空母が4隻も沈められたことにより、空母の不足を補うため、後部2砲塔を取り払って飛行甲板を取り付けた航空戦艦に改装される。

「伊勢」=1917年12月15日に神戸川崎造船所で竣工。 ミッドウェー海戦に参加・レイテ沖海戦には小沢部隊の1艦として参加、1945年7月28日の呉への空襲により大破着底。

「日向」=1918年4月30日に三菱長崎造船所で竣工。 ミッドウェー海戦に参加・レイテ沖海戦には小沢部隊の1艦として参加、1945年7月28日の呉への空襲により大破着底。

●《長門型
世界で初めて40cm主砲を搭載した戦艦です。長く連合艦隊の旗艦だったので、日本国民に最も親しまれた戦艦でした。

「長門」=1920年11月25日に呉工廠で竣工。 ミッドウェー海戦・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に参加、終戦時は横須賀で中破残存。

「陸奥」=1921年10月24日に横須賀工廠で竣工。 ミッドウェー海戦に参加、1943年6月8日に広島湾の柱島泊地で火薬庫爆発事故により沈没。

●《大和型
世界最大の46cm主砲9門を搭載した戦艦です。

「大和」=1941年12月16日に呉工廠で竣工。 連合艦隊旗艦としてミッドウェー海戦に参加、マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に参加、1945年4月7日に沖縄水上特攻に向かう途中に爆撃により沈没。

「武蔵」=1942年8月5日に長崎造船所で竣工。 マリアナ沖海戦に参加、レイテ沖海戦において、シブヤン海を進撃中に敵空母機の集中攻撃を受け、1944年10月24日に沈没。



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