大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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旧国鉄天北線 沼川駅!

2019年04月07日 | 

北海道稚内市大字声問村にあった沼川駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいた全線単線非電化の長大ローカル線だった天北線の一般駅として、1922(大正11)年11月1日に開業します(開業時は宗谷本線に所属)。
しかし、天北線が国鉄からJR北海道に移行後の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたことに伴い、沼川駅も廃駅となりました。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換も行われていました。 また、この駅からは石炭や木材の搬出がなされ、そのための貨物ホームと貨物側線もありましたが、貨物・荷物取扱い廃止後にそれらは撤去されてしまい、天北線廃止時点では単式ホーム1面1線のみを有する簡易委託駅でした。。
なお、開業時に建てられた木造駅舎は、簡易委託後もそのままの姿で廃止時まで健在でした。

また、1933(昭和8)年11月からは、この沼川駅から宗谷本線の幌延駅まで簡易殖民軌道沼川線が運行されてきましたが、こちらは1964(昭和39)年に廃止されてしまいました。

沼川駅が所属する天北線は、昭和40年頃から貨物・利用者共にが減少し、1981年の営業係数(100円の売り上げを得るために必要な費用)は887にまでなっていました。そのため、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが148.9kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるとして一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。
沿線自治体は天北線対策協議会を開いて存続運動を展開しますが、1988(昭和63)年に開かれた第4回対策協議会でやむなくバス転換を受け入れました。

そして天北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い沼川駅も廃駅となりました。

  <沼川駅の年表>

 ・1922(大正11)年11月1日:鉄道省宗谷本線の一般駅として開業
 ・1930(昭和5)年4月1日:線路名が宗谷本線から北見線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1949(昭和24)年6月1日:日本国有鉄道(国鉄)に移管される
 ・1961(昭和36)年4月1日:線路名が宗谷本線から天北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1982(昭和57)年6月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化(簡易委託)、交換設備の廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継
 ・1989(平成元)年5月1日:天北線の廃止に伴って廃駅となる

 

 
(駅舎・ホーム側)

 
(沼川駅駅舎)


 撮影年月日:1989(平成元)年3月8日 



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