Bittyu Matsuyama Castle, Takahashi City, Okayama Pref.
さてさて、「青春18きっぷの旅」も最終日となりました。この日(8月10日)も朝4時に起きて…と言いたいところですが、
この日は朝から備中松山城に行く予定にしていました。城は朝9時からしか開城しませんので、早朝に起きても意味がありません。
この日は6時まで寝て、ゆっくりとテレビを見て朝食を食べて8時前にホテルをチェックアウトしました。
備中松山城は標高約480mの臥牛山(がぎゅうざん)にあります。城に行くには中腹のふいご峠というところまでタクシーで行き、
そこから約20分ほどの坂道を登ることになるんです。ワタクシ達は8時30分にふいご峠の駐車場に到着し、
そこから備中松山城を目指しました。
今までいろんなお城に行きましたが、こんな立て看板を見るのは初めてです。
ワタクシも相棒さんも登山をするので、さほど苦もない坂道でしたが、高齢者の方などはかなり苦労するだろうなと思いました。
登り坂の途中から高梁の町を見下ろします。全国には現存天守が残る城が12城ありますが、
その中で「山城」の形態をとるのは備中松山城のみで、国内唯一の現存する山城として、広く知られているんです。
さらに坂道を登って行くと、見事な石垣が見えてきました。この石垣、2016年の大河ドラマ「真田丸」の
オープニングに使われたことでも有名な場所です。ただし、真田信繁がこの城の城主だったわけではありません。
平地に城を造るのであっても、石垣を築くのは大変な労力だったことでしょう。
ましてや、山城に石垣を築くのは途方も無い労力だったと思います。
天守が見えてきました。午前9時の開城前に来ているのはワタクシ達二人と、他には4人だけでした。
現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされていますが、
慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれています。
ではでは開城時間となりました。中に入るとしましょうか。ワクワクする気持ちになりますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
我が国には12の現存天守がありますが、今回、備中松山城を訪れたので、私は松本城、彦根城、姫路城、松山城、宇和島城、
高知城に続いて7つ目の現存天守を訪ねたことになります。最近は「日本100名城」というのも選定され、
城のスタンプを集めるのも流行っているそうです。いろんなことが考えられるものですね。
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さてさて、「青春18きっぷの旅」も最終日となりました。この日(8月10日)も朝4時に起きて…と言いたいところですが、
この日は朝から備中松山城に行く予定にしていました。城は朝9時からしか開城しませんので、早朝に起きても意味がありません。
この日は6時まで寝て、ゆっくりとテレビを見て朝食を食べて8時前にホテルをチェックアウトしました。
備中松山城は標高約480mの臥牛山(がぎゅうざん)にあります。城に行くには中腹のふいご峠というところまでタクシーで行き、
そこから約20分ほどの坂道を登ることになるんです。ワタクシ達は8時30分にふいご峠の駐車場に到着し、
そこから備中松山城を目指しました。
今までいろんなお城に行きましたが、こんな立て看板を見るのは初めてです。
ワタクシも相棒さんも登山をするので、さほど苦もない坂道でしたが、高齢者の方などはかなり苦労するだろうなと思いました。
登り坂の途中から高梁の町を見下ろします。全国には現存天守が残る城が12城ありますが、
その中で「山城」の形態をとるのは備中松山城のみで、国内唯一の現存する山城として、広く知られているんです。
さらに坂道を登って行くと、見事な石垣が見えてきました。この石垣、2016年の大河ドラマ「真田丸」の
オープニングに使われたことでも有名な場所です。ただし、真田信繁がこの城の城主だったわけではありません。
平地に城を造るのであっても、石垣を築くのは大変な労力だったことでしょう。
ましてや、山城に石垣を築くのは途方も無い労力だったと思います。
天守が見えてきました。午前9時の開城前に来ているのはワタクシ達二人と、他には4人だけでした。
現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされていますが、
慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれています。
ではでは開城時間となりました。中に入るとしましょうか。ワクワクする気持ちになりますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
我が国には12の現存天守がありますが、今回、備中松山城を訪れたので、私は松本城、彦根城、姫路城、松山城、宇和島城、
高知城に続いて7つ目の現存天守を訪ねたことになります。最近は「日本100名城」というのも選定され、
城のスタンプを集めるのも流行っているそうです。いろんなことが考えられるものですね。
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標高480mもの高いところにある城へは
観光客も少ないでしょうね。
頂上までケーブルカーでもあるのかと思いました。
これだけの石垣をどのようにして運んだのでしょう。
当時の登城は大変だったでしょう。
おぉ!いいお城ですねぇ〜🏯
どうやってこの石垣を造ったのか?不思議です。
私は、最後に、月山富田城に行きたいと思ってましたが。この足では、無理かなぁ。
昨日で、大河ドラマで中川大志君が亡くなり、現在ロスです。
おはようございます
これは見事な石垣ですね
標高480mの高いところにどうやってこの石垣を作ったのでしょうね
すごいとしか言いようがないです
見上げると圧倒されそうなほど
迫力のある石垣ですね…!
現存天守12のうち四国に3つあるのは
なんか嬉しい気持ちになります…(笑)
☆
皮が伸びてブカブカになって履けなくなった
思い出の松山城です。
西日本の城はほとんど行ったかも知れません。
立派な石垣ですね。
これだけの石垣を造るのは
大変だったでしょうね。
登城するには、少し体力が必要なんですね。
山の上に城や石垣を作るって、ほんと
大変だと思います。
どうやって運んだのかな~。
中の写真も、楽しみです。
凸
敵の侵入を防いだのでしょうね
宇和島城も城はそのままですが石垣の修復が進んでいて城山全体の風景が変わってきましたあれだけの人数と機械使っても何年もかかってる
それを考えると機会のない時代にこれだけのものを作り上げる技術を凄いですね
そのうち7つも登られているんですね
石垣が美しいですそして堅牢なんでしようね
青春切符の使い方出これだけ有効なのは素晴らしいです
おぼえて置いていつか行ってみたいです