Kishiwada City, Osaka Pref.
さてさて、大阪府岸和田市にやって来たワタクシは、アーケードがある駅前商店街を抜けてしばらく歩くと
旧紀州街道に到着しました。
紀州街道は名前からもわかるように、かつては大阪と和歌山を結んだ街道です。
1701年(元禄14年)以降は、徳川家紀州藩主の参勤交代や御上使通行の道でもあったということですから
なにせ御三家の紀州藩の参勤交代ですので、その時は大層な賑わいだったことでしょう。
交差点の向こうに見える建物は、大正時代に建てられた旧四十三銀行の建物で、今は信用金庫の建物として利用されているようです。
こんな懐かしい散髪屋さんを見かけました。今も健在なんですねぇ。
こういう簾を見ると、昔の我が家を思い出します。ワタクシが住む長屋では、どこのお家も窓に簾をかけていたように思うんですよね。
岸和田城の西あたりにやって来ると、昔の街道筋らしい佇まいになりました。
岸和田は「だんじりの町」であり、「カーネーションの町」でもありますが、「歴史豊かな町」でもあるのですね。
そういえば紀州藩といえば八代将軍徳川吉宗の出生地でしたね。
ワタクシ、江戸時代の15人の将軍の中では吉宗が一番好きでありまして、ふと、吉宗もこの道を通ったのだろうかと考えてしまいました。
今もこの道は人々の生活道路なのですね。自転車で行き来するお年寄り、部活の道具を持って学校に走って行く中学生
そして井戸端会議に花を咲かせるおばちゃん達…ここはあくまでも地元の人達の生活の場であることを実感しました。
同じ大阪府なのですが、岸和田がある大阪府南部一帯を泉州(かつては和泉国でした)と呼ぶのですが
泉州弁は微妙に大阪弁とは言葉が違うんですよねぇ。
このあたりは文章では表現できない微妙なニュアンスなのですが、泉州弁には紀州弁の影響があるんですよ。
といっても、大阪市内と河内、泉州の方言の違いを感じるのはおそらく40代から50代以上の人達だけでしょう。
今はテレビで使われるお笑い芸人の大阪弁に、昔ながらの大阪言葉は片っ端から駆逐されてしまいましたから。
ふと道端を見ると、玉ねぎを無人販売所で売っていりました。皆さんはご存知ないかもしれませんが
かつては泉州玉ねぎというのは大阪を代表する農作物でした。
というよりも、日本の玉ねぎ栽培の始まりは明治時代にここ泉州で始まったと聞いたことがあります。
ワタクシが中学校の時、都道府県別の玉ねぎ生産量で大阪府が4位だったのをよく覚えています。
ちょっと気になったので調べてみると、今は大阪府は玉ねぎの生産量は16位にまで下がっているんですね。
都市化による農地の減少、農家の後継ぎ不足…大都市の近郊ほど、そういう影響が出るものなのですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
死んだ祖母は大阪の船場あたりの商店で働いていたせいか、いわゆる「船場言葉」と呼ばれる品のある大阪弁をよく使っていました。
「あんたはいちびりで、せわしのーて、ほんまにいらちやな」(お前はいつもふざけてて、せかせかして、落ち着きが無いな)
「山田はんのぼんぼんは、えーしの子やさかいに、ぎょうさんお金持ってますがな」(山田さんの長男は金持ちの子やから、たっぷりお金持ってるわ)
というような言葉を、今ではもう誰からも聞くことがなくなりました。
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さてさて、大阪府岸和田市にやって来たワタクシは、アーケードがある駅前商店街を抜けてしばらく歩くと
旧紀州街道に到着しました。
紀州街道は名前からもわかるように、かつては大阪と和歌山を結んだ街道です。
1701年(元禄14年)以降は、徳川家紀州藩主の参勤交代や御上使通行の道でもあったということですから
なにせ御三家の紀州藩の参勤交代ですので、その時は大層な賑わいだったことでしょう。
交差点の向こうに見える建物は、大正時代に建てられた旧四十三銀行の建物で、今は信用金庫の建物として利用されているようです。
こんな懐かしい散髪屋さんを見かけました。今も健在なんですねぇ。
こういう簾を見ると、昔の我が家を思い出します。ワタクシが住む長屋では、どこのお家も窓に簾をかけていたように思うんですよね。
岸和田城の西あたりにやって来ると、昔の街道筋らしい佇まいになりました。
岸和田は「だんじりの町」であり、「カーネーションの町」でもありますが、「歴史豊かな町」でもあるのですね。
そういえば紀州藩といえば八代将軍徳川吉宗の出生地でしたね。
ワタクシ、江戸時代の15人の将軍の中では吉宗が一番好きでありまして、ふと、吉宗もこの道を通ったのだろうかと考えてしまいました。
今もこの道は人々の生活道路なのですね。自転車で行き来するお年寄り、部活の道具を持って学校に走って行く中学生
そして井戸端会議に花を咲かせるおばちゃん達…ここはあくまでも地元の人達の生活の場であることを実感しました。
同じ大阪府なのですが、岸和田がある大阪府南部一帯を泉州(かつては和泉国でした)と呼ぶのですが
泉州弁は微妙に大阪弁とは言葉が違うんですよねぇ。
このあたりは文章では表現できない微妙なニュアンスなのですが、泉州弁には紀州弁の影響があるんですよ。
といっても、大阪市内と河内、泉州の方言の違いを感じるのはおそらく40代から50代以上の人達だけでしょう。
今はテレビで使われるお笑い芸人の大阪弁に、昔ながらの大阪言葉は片っ端から駆逐されてしまいましたから。
ふと道端を見ると、玉ねぎを無人販売所で売っていりました。皆さんはご存知ないかもしれませんが
かつては泉州玉ねぎというのは大阪を代表する農作物でした。
というよりも、日本の玉ねぎ栽培の始まりは明治時代にここ泉州で始まったと聞いたことがあります。
ワタクシが中学校の時、都道府県別の玉ねぎ生産量で大阪府が4位だったのをよく覚えています。
ちょっと気になったので調べてみると、今は大阪府は玉ねぎの生産量は16位にまで下がっているんですね。
都市化による農地の減少、農家の後継ぎ不足…大都市の近郊ほど、そういう影響が出るものなのですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
死んだ祖母は大阪の船場あたりの商店で働いていたせいか、いわゆる「船場言葉」と呼ばれる品のある大阪弁をよく使っていました。
「あんたはいちびりで、せわしのーて、ほんまにいらちやな」(お前はいつもふざけてて、せかせかして、落ち着きが無いな)
「山田はんのぼんぼんは、えーしの子やさかいに、ぎょうさんお金持ってますがな」(山田さんの長男は金持ちの子やから、たっぷりお金持ってるわ)
というような言葉を、今ではもう誰からも聞くことがなくなりました。
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どこかで聞いた記憶が、と、思いながらお写真を拝見していくと、
あ、そうでしたね、カーネーション、岸和田でしたね。
だんじり、あの激しさが想像できないぐらい、
静かそうな町並みですね。
ポチ☆
私の父方の祖母は西船場のこいさんでした。
なので、綺麗な船場言葉を使っていました。
私は南河内の育ちで、高校から短大では泉州の御嬢さんと同級生でしたので言葉の違いはわかるんですよ(^^)
それぞれ微妙に違いますよね
泉州たまねぎの碑はたしか、阪南市にあったはず・・・
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
眺めて、心和みました。
ありがとうございました。
いつも、涙が出るほど嬉しいコメント&心遣い、心より、恐縮、深謝しています。
応援ポチ♪♪
だんじりの街、紀州吉宗侯、むかしにタイムスリップしたかのような感じのするところですね(^^)
でも、ちがうんですね。
それが日本の良さですね。
でも、それも失われつつあり…
さみしいですね。
南田辺とか近くでしたかね 支店が有って行った事が有ります
岸和田は有名ですが行った事が有りません
まだまだ現役のお店で頑張って居られるのですね
何時も訪問とコメ有難う御座います
(o^-^o) ポチ
いい雰囲気ですね~
もっと違ったイメージを持っていたので
お写真を拝見していいなぁ~って思いました
子供の頃は、かぐや姫が好きでしたw
☆P
歴史を感じました
おばあさんの言葉使いもまるでドラマのようですね。
よっちんさんの路地の写真は素敵です。
関東だと小江戸と言われている川越に似ていますね(^^)
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岸和田ですか~
カーネーション 楽しく見てました♪
こんな静かでのんびりムードの街が
だんじりの時は 一変するんですね
タマネギ おいしそうですね^^