こんにちは。台風一過で、気持ちの良いお天気となりましたね。
毎週日曜日は、院長の自伝です!
さて、話を丁稚奉公に戻そう。
あっという間に3年が過ぎ一通りの仕事が出来る様になった頃、職場にも人間関係にもなんらの不満は無いのだが、
あっという間に3年が過ぎ一通りの仕事が出来る様になった頃、職場にも人間関係にもなんらの不満は無いのだが、
「このままでいいのだろうか」と悩んだ時期がありました。
その頃ラジオの番組で森繁久弥さんが担当する「友よ明日泣け」という番組があった。そのフレーズは50年以上たった今でも覚えている。
「本当の幸せにしみじみとむせび泣きたいのなら、今日の不幸せには笑って耐えようではないか。友よ明日泣け」であった。
高度経済成長の真っただ中で「金のたまご」ともてはやされ中学卒業後田舎から都会に出て来てそれぞれの職場で体験する悩みを打ち明けて森繁久弥さんに相談し、
解決方法をリスナーと共に考える番組だった。
番組を聴きながら笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら私と同じ様に皆さんも悩んでいるのを感じた。
私は思いきって親方とその奥さんに悩みを打ち明けた。住み込みの丁稚奉公と言えば親方も奥さんも私の親代わりである。
「靖之な! これからは職人と言えども学問が大切だ、夜間の定時制高校に行ってみる気はないか?」であった。
当時は職人には学問はいらない! 腕さえ磨けばいいんだ! と、言う風潮であった。
私は即座に答えた。「私は職業訓練所に行っていないから、そこで基礎からやり直してみたい!」
親方は又言った、「靖之な、おまえには建具製作の全てを教えた。今から職業訓練所に行っても学ぶものは無い! 後は自分の努力と経験を積み重ねるだけだ!」
「それよりも、これからは職人といえども学問が大切だ。定時制高校に通いなさい。全面的に協力する…」であった。
そして、昼間は丁稚奉公、夜間は定時制の高校生という生活が始まったのである。
その頃ラジオの番組で森繁久弥さんが担当する「友よ明日泣け」という番組があった。そのフレーズは50年以上たった今でも覚えている。
「本当の幸せにしみじみとむせび泣きたいのなら、今日の不幸せには笑って耐えようではないか。友よ明日泣け」であった。
高度経済成長の真っただ中で「金のたまご」ともてはやされ中学卒業後田舎から都会に出て来てそれぞれの職場で体験する悩みを打ち明けて森繁久弥さんに相談し、
解決方法をリスナーと共に考える番組だった。
番組を聴きながら笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら私と同じ様に皆さんも悩んでいるのを感じた。
私は思いきって親方とその奥さんに悩みを打ち明けた。住み込みの丁稚奉公と言えば親方も奥さんも私の親代わりである。
「靖之な! これからは職人と言えども学問が大切だ、夜間の定時制高校に行ってみる気はないか?」であった。
当時は職人には学問はいらない! 腕さえ磨けばいいんだ! と、言う風潮であった。
私は即座に答えた。「私は職業訓練所に行っていないから、そこで基礎からやり直してみたい!」
親方は又言った、「靖之な、おまえには建具製作の全てを教えた。今から職業訓練所に行っても学ぶものは無い! 後は自分の努力と経験を積み重ねるだけだ!」
「それよりも、これからは職人といえども学問が大切だ。定時制高校に通いなさい。全面的に協力する…」であった。
そして、昼間は丁稚奉公、夜間は定時制の高校生という生活が始まったのである。
次週に続く
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