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「中国経済が長期減速に陥る事態も」

2018-09-27 15:17:40 | 日記
2018.8.23 22:39更新

【米中貿易摩擦】

「中国経済が長期減速に陥る事態も」 東京財団政策研究所の柯隆(か・りゅう)主席研究員

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中国は米国との事務レベル協議に商務次官を送るなど関係改善の意欲を示し始めたが、中国を取り巻く厳しい国際環境からすれば遅すぎた判断と言わざるを得ない。

米国との国力の違いを比較した際に中国側は自らの実力を過大評価し、トランプ米大統領の決意も甘く見ていたのだろう。

米側は2千億ドル相当にも及ぶ第3弾の大規模制裁を準備しているが、これが発動されれば中国経済は相当なダメージを受ける。

短期的には、輸出にブレーキがかかって業績が低迷した企業がリストラに走り、雇用環境の悪化に伴う社会不安の増大という中国側が最も恐れる状況を招く恐れがある。

長期的には、多国籍企業を中心に生産能力の一部を中国外に移す可能性もあり、中国経済が長期間減速する事態に陥りかねない。

今後は中国側が表に出ない形で譲歩案を示し、首脳会談が実現可能なレベルに達するまで折り合えるかが焦点となる。

最悪のシナリオは、中国が国内改革をせずに報復カードを切り続け、とことんまで貿易戦争を続けることだ。

中国が切れるカードは米側より少なく、報復措置に限界があるのは目に見えている。

改革開放から40年間で、これほど強い外圧を中国が経済問題で受けたのは初めてのことだ。

外圧をテコに国内の抵抗が強い国有企業改革を進めるなど、中国経済の「危機」を「好機」に転じさせることもできる。

今、習近平国家主席の知恵が試されている。(聞き手 三塚聖平)

韓国とベトナムの間でくすぶり続ける歴史問題 韓国大統領発言めぐりソウルでデモも

2018-09-27 14:03:34 | 日記
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韓国とベトナムの間でくすぶり続ける歴史問題 韓国大統領発言めぐりソウルでデモも

Jul 13 2017


 ベトナム国民はベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺をめぐり、戦争終結から40年以上経った今も韓国に対して複雑な感情を抱き続けている。

そのようななか、韓国大統領の発言がベトナム国民の怒りを買った。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は先月の戦没者追悼記念日の演説の中で、「今日の韓国経済があるのはベトナムで戦った元軍人たちの献身と犠牲があってのことです」(ハンギョレ紙)とし、退役軍人らを讃えた。9000人とも言われるベトナム民間人の虐殺行為への賛辞とも取ることができるこの発言に対し、ベトナム側は猛反発した。

◆大虐殺の過去 ベトナム戦争での韓国軍の戦法が遺恨を残す

 ベトナム国民の嫌韓感情は、ベトナム戦争に端を発する。ニューヨーク・タイムズ紙は7月10日付の社説でこれまでの経緯を詳しく取り上げている。

ベトナム戦争中、アメリカ軍が対ゲリラで苦戦したことから、当時のジョンソン大統領は韓国軍を派遣する方針を打ち出した。

一方、韓国側にも参戦の動機はあった。韓国と北朝鮮の国境付近に駐留していたアメリカ軍がベトナム側に振り分けられ、38度線付近の警戒が手薄になることを韓国側が恐れたと同紙は分析する。




 こうしてベトナムに軍を派兵した韓国だが、ゲリラ掃討のためのサーチ・アンド・デストロイ作戦を展開し、ベトナムの一般市民を巻き込んだ大虐殺を繰り広げる。

ベトナムのVNエクスプレス紙によると、30万以上の韓国兵士がベトナムに派遣され、9000人の市民が殺害されたとのことだ。ニューヨーク・タイムズ紙も1968年2月のハミ村での135人の虐殺の代表例を挙げている。

◆すれ違う2国の主張 韓国は虐殺の事実を認めず
 
ただし、韓国政府としては、いかなる大量虐殺の事実をも未だに認めていない。

ロサンゼルス・タイムズ紙はこうした韓国政府の姿勢のほか、韓国退役軍人枯葉剤被害者の会で事務総長を務めるキム氏の見解を伝えている。

記事によると「我々の兵役はベトナムの治安を維持する目的でした」「それ以外だという指摘は我々の名誉への侮辱に当たります」(2015年5月16日)と、あくまで戦闘の正当性を強調している。

 こうした態度にベトナム側は苛立ちを募らせる。韓国紙ハンギョレは先月28日に行われた抗議デモの様子を伝えている。

ベトナムからの交換留学生がソウル市街で抗議活動を繰り広げ、過去の虐殺行為を認めるよう韓国政府に訴えた。

この女性留学生は「韓国に暮らす中で、同国がいかに(慰安婦問題で)際限なく日本を嫌っているかを見てきた」とした上で、韓国も(同様にわが身を振り返って)歴史問題への認識を正すべきだと述べる。

◆火に油を注ぐ韓国大統領発言
 
先月の韓国大統領による発言は、反韓ムードの色濃いベトナムの世論に火を付けるに十分なものだった。
ハンギョレ紙によると、ベトナム外務省は声明を発表し、ベトナムの人々との友好関係を傷つけるような言動は控えるよう抗議している。韓国側は他意はないとの釈明に追われた。

 問題が長期化するかは未知数だ。VNエクスプレスは、ベトナムに対して韓国が最大の投資国となっていることを指摘しており、経済的な依存度は高い。

加えてハンギョレ紙もある僧侶の見方として、ベトナム人は過去には目をつぶり、未来へ向けて動くという姿勢を身につけたとしている。一方で、歴史認識の是正を迫る世論がベトナムで高まれば、2国間の緊張が高まることも考えられる。
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Text by 青葉やまと

オピニオン]白頭山の噴火と渤海の滅亡

2018-09-27 13:42:40 | 日記

オピニオン]白頭山の噴火と渤海の滅亡

Posted April. 03, 2015 07:13,


過去2000年間で最も大きな火山噴火は、10世紀の白頭山(ペクトゥサン)大噴火だった。

たった一度の噴火で、韓半島全体を5センチの厚さで覆う火山灰を吐き出した。

マグマの量がポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ火山の噴火(79年)の50倍だった。

噴火当時、25キロメートルの上空まで火山灰が吹き上がり、セメントのような「泥流」が突進して村落を襲い、半径100キロメートルが真っ黒になった。

◆渤海は926年、契丹族に陥落して滅亡したが、白頭山の噴火で消滅したという異説もある。

問題は、白頭山の噴火の正確な時期が分からないという点だ。

ところで先月23日、済州(チェジュ)で開かれた「韓中白頭山マグマ研究ワークショップ」で、韓国地質資源研究院地質資源分析室のホン・ワン室長が、
白頭山現地の炭火木(火山灰で燃えた木化石)を分析し、噴火時期が939年だと発表した。

歴史のパズルのピースが一つはめられたのだ。

◆記録上、白頭山大噴火よりも渤海滅亡が先だというが、違う可能性もある。

渤海滅亡に関する記録が書かれた「遼史」は926年で、400年後に書かれた勝者の記録だ。

日本の歴史では、渤海が930年代にも使節を送っていたとなっている。

丹の太祖、耶律阿保機は、渤海を征服して戻る途中で死亡した。

耶律阿保機はなぜこの地をあきらめたのか。

934年、渤海の皇太子、大光顕が数万人を率いて高麗(コリョ)に投降したという「高麗史」の記録はどうなっているのか。

◆このような点は、契丹による都城陥落後も渤海が一定期間存続した可能性を示す。

不思議なのは、大噴火があったにもかかわらず、一つの記録もないということだ。

白頭山の噴火を目撃して生き残った人はいなかっただろう。

渤海の人々は、それが火山噴火とは知らず、天が下した罰程度に思ったのかもしれない。

一つ確実なことは、大噴火が国家と文明を壊滅させるほど大きかったということだ。

白頭山が最近数年間、火山噴火直前の兆候を示し、韓国と中国が7月に共同調査を行う。渤海を滅亡させた火山灰の大災害が起きないことを願うだけだ。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com

「大きな地震は起きない」の韓国の神話は崩れた

2018-09-27 13:28:58 | 日記
「大きな地震は起きない」の韓国の神話は崩れた


辺真一 | ジャーナリスト・コリア・レポート編集長


2016/9/12(月) 23:19


地震が発生した韓国の慶州エリア


韓国南部でマグニチュード5.1と5.8規模の地震が連続して発生した。

震源地は韓国の古都として知られる慶州(慶尚北道)付近で、韓国気象庁によると、5.8は観測史上最大規模とのことである。

朝鮮半島ではめったに地震は起きない。

ユーラシアプレート内部にある朝鮮半島はプレートの境にある日本や台湾に比べて地震は比較的に少ない。

関東大震災が1923年に発生した時、日本が首都を東京から京城(ソウル)の竜山に移そうとした陸軍参謀部の極秘文書があると囁かれたほど「地震安全地帯」であった。

そんなこともあって、「3.11」(東日本大震災)直後にいざという時の備えのため釜山や済州島の土地やマンションの購入に走った日本人がいたほどだ。

しかし、「韓国に地震はない」の神話は崩れた。

韓国は決して安全地帯ではない。今回の慶州の地震はその証左である。

確か、2か月前にも慶尚南道の蔚山近海で今回と同じマグニチュード5.0規模の強震が発生していた。原発地域での発生だけに不安が募ったのは言うまでもない。

今回はその時よりもさらに規模が大きい。

韓国では室内で人々が感じるM3.0以上の地震は2000年以降、年平均8~9回発生しているが、それ以上の規模の地震は発生してなかった。

過去100年間で人命と財産被害をもたらすマグニチュード5規模の地震は4~5回あったが、震源地は海底や山中であったりして、被害はほとんどゼロだったと言われている。

韓国の建設交通部が製作した「全国地震解明」によると、韓国で地震に最も弱い地域は慶尚北道の大邱だ。

ソウルや首都圏は過去200年の間、地震活動は全くない。

しかし、地盤が最も揺れる地域の順は大邱、清州、全州、釜山、ソウル、光州そして春川の順だ。ソウル市内で最も地震に弱い地域は漢江一帯だ。

仮にソウルでマグニチュード7の地震が発生すれば、死者は276万人に達すると、国民安全処(処は庁に該当)が作成した報告書「震災による社会・経済的被害予測モデル」は予測している。

全国民(5160万人)の5.3%に当たる。経済損失は今年の予算(386兆7千億ウォン=約34兆5000億円)の7.4倍の2848兆ウォンに達するとされている。

北朝鮮で最も気になるのは、中国との国境にそびえる白頭山周辺である。

2000年までは小さな地震が1か月に数回観測されていたが、2011年以降は多い月で300回以上。規模もマグニチュード3~4に上がっている。

地下から噴出しているマグマによるガスで山の樹木の枯れ死も確認されている。


白頭山は過去4回噴火している。最後に噴火したのが1925年である。

近年中国の一部学者らが2014~2015年頃に火山性地震が増加する可能性を提起したことで火山再噴火に対する関心が高まっている。

朝鮮半島唯一の活火山である白頭山の噴火が仮に現実となれば、韓国、日本への被害は想像を絶すると言われている。

最悪の場合、噴火規模は欧州の空港を麻痺させたアイルランド火山噴火の1000倍と言われている。

アイスランドの火山灰は0.1平方キロメートルだが、白頭山では150平方キロメートルで、東京ドーム10万個分の量になるとみられている。

噴火から3時間後にソウル、18時間後に東京に落塵する。

2005年に撮られた映像から地下にマグマが溜まっていること、日本で大きな地震が起きた約20年以内に白頭山で群発が起きていることから要注意だ。

釜山大学研究チームが国民安全処に提出した報告書(「火山災害被害予測技術開発」)によれば
「東側上空に気圧の谷がある状態で白頭山が噴火すれば、火山灰が北風に乗って韓国側に流入し、江原道に最大で10.3センチの火山灰が積もることをはじめ、
済州、全羅南道、光州を除く韓国全域に少なくて数ミリから多くて数十ミリの火山灰が積もる。

農作物被害4兆5千億ウォンを含め11兆1895億ウォンの被害が発生する」と予測していた。

また、竹島(独島)への経由地である慶尚北道の鬱陵島ははるか昔に「死んだ」火山として知られているが、鬱陵島の地下に白頭山に劣らない巨大なマグマが存在する。

国際科学ジャーナル「地球物理学研究:地球」最近号に掲載された論文によると、鬱陵島直下50キロメートルに幅300キロメートル、深さ100キロメートルの巨大な「マグマだまり」があることが確認されている。




辺真一
ジャーナリスト・コリア・レポート編集長


東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て、フリー。1982年 朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動開始。
98年 ラジオ「アジアニュース」パーソナリティー 。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。

著書に「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人、残念な日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙 間違いだらけの日韓関係」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など25冊

朝鮮半島で地震急増

2018-09-27 12:12:53 | 日記
朝鮮半島で地震急増
 
宏観亭見聞録  2012年10月7日
 
http://macroanomaly.blogspot.jp/2012/10/blog-post_4271.html
日本で地震や火山活動が活発になると、
朝鮮半島で大きな地震が起きる傾向があるようです。
そのような事例を

『歴史のなかの大地動乱
 ― 奈良・平安の地震と天皇』
(保立道久、岩波新書、2012)から抜粋します。

(中略)
▼8世紀前半、日本では大きな地震が相次いで
 発生しましたが、8世紀後半になると地震活動は
 一時的な静穏期に入り、
 代わって九州の火山活動が活発化します。
 742年、大隅国で海底火山噴火;
 764年、大隅国で海底火山噴火、爆発音が
 都にまでとどろき、3つの火山島が誕生;
 772年、豊後国鶴見岳噴火、死者47人:

 同じ
 「大地動乱の時代」に入っていた隣国の新羅では、
 777年に地震があり、(中略)
 翌々年、779年に王都に死者100余人を出す
 大地震が発生し、これをきっかけとして
 王都で反乱が起こり、恵恭王は王妃とともに殺害された


▼昨年3月の東北地方太平洋沖地震は
 西暦869年に東北地方でおきた「貞観地震」の
 再来といわれていますが、
 この「貞観地震」の後、朝鮮半島で地震が
 連続して発生しました:

 869年(貞観11)5月の陸奥海溝地震の後、
 約2ヵ月経って、肥後国において相当の規模(M7?)
 をもつ誘発地震が起きている。
 
そして、朝鮮の史書『三国史記』によれば、
 その9ヵ月後、870年4月に新羅の王都慶州で
 地震が起きている。
 さらに872年4月には同じく慶州で、
 また875年2月には王都および東部で
 地震が発生している。(中略)
 870年代前半に地震記録が3回も集中していることは、
 一般に地震記録が少ない朝鮮の史書においては
 特異なことである。