言わなかったのではなく、言えなかった、、のだ、、、
事情があったのかもしれない。
愛情の与え方を知らなかった
だけなのかもしれないし、
悪気がなかったのかもしれないし、
アノ人なりに
愛してくれたのかもしれない。
私がよく陥るものは、振り返って
「自分にも悪いところがあったのかも」
「相手は今相当に大変だったのかな」
何かあった時、客観的に物事を見て、冷静に判断することは必要です。
ただ、それをかんがえるとはっきりいって私原因ではなく、相手原因だということがわかる。
相手の精神状態の善し悪しで振り回されている自分がいたこと。
このように考えられたからこそ、大切な人を傷つけずにすんだこともあったのだけれども、、、
でも相手の事情を理解することと、自分が感じた気持ちを「なかったこと」にするのは、別問題であって。
事情があるからと言って何をしてもいいわけではないし、何を言ってもいいわけではありません。相手の事情を理解して、自分が許したり我慢したりしなきゃいけないなんてルールはありません。
私はいつも傷ついていた。
我慢していた。
傷ついた気持ちをなかったことにしてはいけない。
「相手に悪気はなかったのだから」と傷ついた気持ちをなかったことにしていたけれど、、自分の気持ちを否定することにつながっていて、正直解消されない。
急性的な対応でーができても、それはバンドエイド傷口に貼っているだけで、中に浸透した傷は解消されないまま。
根本的な解決をしたいと思っていても、相手は急性的なバンドエイドを貼るしか頭にないのだから。
それって、、足を踏まれて「痛い!」と思った時に、「わざとじゃないんだから我慢しなさい」と諭されるようなものです。
わざとではなくても、痛いものは痛い。
「痛い!」と正直に感じることと、「痛い! 何してくれるんだ!!」と相手を責めて攻撃することは違っていて
だからといって、「痛い」と感じた気持ちまでなかったことにする必要はない。
でないと自分も心を我慢で押さえつけてしまうのだから
嫌なものは嫌でいい
相手に悪気がなくても、心が傷つくことがある。
相手に何か事情があったとしても、許せないと思うこともある。
理解しろや許せという言葉を何度も聞いてきたし、そうしてきたけれど、、
そういう人なのだと理解したとしても、嫌なものは嫌だし、悲しい気持ちや我慢する気持ちは抑えなくていい。
あの人の事情を理解してあげたように、自分の気持ちも理解して行くことが大事。
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