思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

下関の壇ノ浦の戦いゆかりの赤間神宮で参拝する

2020-03-25 07:32:41 | 2020年の旅行記(国内)
周防高森から乗った8時58分発のキハ40は徳山に着いた。



下関もそうだけど、長くて持て余し気味のホームの一分だけ嵩上げして電車と気動車で停止位置を分けています。この駅もかつては民衆駅そのものって感じで1番ホームの立ち食いでうどんを食べたことがある。



そのうどん屋も新駅舎になって広くなり座れるようになった。ちなみにここのうどんは給食のソフト麺なみに柔らかいです。博多のうどんとも違う感じ。



駅舎は図書館と一体型になり蔦屋が運営受託をしているようだ。駅は街の玄関ですから奇麗になったのはいいが街並みはなにも変わらない。ここの商店街を歩く人は少ない。



そんな中どさん子ラーメンを発見、なんと懐かしい!時間があえば食べたのにって思う。ともかく先へ進みましょう。



ここから下関方面は黄色い電車の独壇場。115系3000番台は好きな車両です。



115系とは言うけどもドアは2か所しかなく座席も転換シート。同時期に京阪神地区に投入された117系と酷似しているんですね。国鉄末期に広島地区で都市型パターンダイヤに合わせての増備で投入されたんですがなんとも曰く付きで…。さっそく使ってみたものの広島地区で2ドアだと遅延を招く、そこで当時の広島鉄道管理局は国鉄本社に3ドアへの増設工事を具申したそうだ。結果は勿論「フザケルナ」、折角新車を投入したのにろくに使わない時点で何を言うか!となってしまい、以後の国鉄もJR西日本も新車の投入はしなくなり、227系が2015年にデビューするまで30年近くお古ばかり走ってた。大阪を都落ちした103系も当たり前に走ってたほどだった。



徳山から新山口の間ではときおり海が見える。どこかでふらっと降りたくなるけども…、まあ終点まで乗り通しましょうや。小野田線なら乗りたいが都合いい列車が無いし。



下関では真向いに小倉へ向かう415系が停車していますがここで下車。この駅も長距離列車が無くなってすっかり寂しくなった。私は九州ブルトレには乗ったことないが〈ムーンライト九州〉は何度も利用した。朝の博多行きの場合、ここで機関車をEF65(EF66)からEF81に交換する長時間停車に合わせてホーム上の駅弁屋がオープンしたものだ。550円くらいの格安幕の内弁当を何度か買った記憶がある。今日は改札を出てサンデン交通バスに乗り向かうはこちら。



赤間神宮です。奥の朱塗りの門が今の時代なら「映える」スポットなのでしょうね。結構参拝者が多かった。





この神社は壇ノ浦の戦いで海の藻屑と散った安徳天皇を祀っている。安徳天皇は第81代の天皇で母親は平清盛の娘。生後1か月で立太子を経て1歳2か月で践祚して即位する。当然ながら傀儡で実態は平清盛が一切を取り仕切っていたという。ゆえに源家に追われると平家とともに都落ちし一の谷の戦いと屋島の戦いで負けたことで海上に追われて、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する際に祖母である平時子に抱き上げられ共に壇ノ浦で入水して崩御。6歳4か月と本当に幼子だった。まあ詳しいことはwikipedhiaで検索してください。参拝後は社務所に御朱印帳を預けて境内をさらに散策。



子供の頃に「耳なし芳一」の話は聞いて知ってたけど、その舞台ってまさにここの神社だったんですね。へえーと感心してしまった。



これらは滅亡した平家の墓。壇ノ浦に散っているから墓石だけで遺骨とかはないでしょう。





それでは対岸へ向かおうかな。


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