一昔前なら、こんな光景はあちこちに見られたし、子供達は何と言われようと、こんな格好の遊び場をほっておく筈もなかった、と思うが、最近のお子様達は行儀が良いので、決して立ち入らない。
この長い広場は、3月まで電車が来ていた、終着駅の成れの果てだ。線路も枕木もホームも、駅舎も、なにもかも取り払われてしまった。
ただ一つだけ、それとわかるのは、道路との際に立っている石碑だけになった。
電車が来るようになって、二駅ほど延長してここに終着駅を作った人々がいた。それだけ、そのころ財力も政治力も強かったに違いない。その記念碑がこれなのだ。
誇らしげに建てられた記念碑は、今、その誇るべき対象を失い、『廃線記念』と彫りなおしてもらうことも出来ず、また、そんなことをして欲しくもなく、取り壊されるのは悔しいが、このまま建ち続けることも心苦しく、表情も苦しげに歪んでいるかのように見える。
その昔、ここには『馬鉄』という馬が引く鉄路があったそうだが、いっそ馬鉄を復活させて、日曜祭日は、観光客相手に、平日は、じじ、ばば相手に病院通いでもしたらどうだろう。
そして記念碑の表面を削り、誇らしく彫り直すのだ、『馬鉄復活記念碑』と。
だれかやらない?