博多には、元寇防塁の
石垣が遺されています。
ここ勝浦浜や在自(あらじ)潟
には、合戦の伝承があります。
弘安の役のことだと思われます。
最近でも博多湾から元か百済の
船らしきものが見つかっていますね。
恐らく、弘安の役の際、来襲した2船団のうちの早く着いた部隊と戦闘があったのでしょう。
★ ★ 2枚目の写真の足元あたりが、昔の波戸(船着き場)のあとです。
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『津屋崎』の地名は、通夜のおこもりをしたところから通夜崎、後に津屋崎となったといいます。
また、別の解釈では、『津屋』は船で送る品物を保管する倉庫で、津屋の蔵がならぶ地域から『津屋崎』と呼ばれた、とも言われているそうです。