寒いわけですねえ!冬物のコートを引っ張り出しました。
稼ぐ人とそうでない人の違いですかね!
写真の正面に見える橋のあたりに、カブトガニがいるはずです。橋の右側は昔の”海の中道”だったころの南端にあたる大峰山です。
神功皇后が戦勝の盾を納めたという盾崎神社が向こう側にあります。
干潟から後ろを振り返ると、写真 右奥から宮地嶽、在自(あらじ)山、左はじが対馬見山です。
このあたりの山には、宗像大宮司が築いた城があったようです。
対馬見山の北方、写真の右が名児(なご)山、左が勝浦岳です。続いているけど違う名前がついてます。神功皇后がこの山に登り『かつら』といわれたので、このあたりを桂、山を勝浦岳、海を勝浦浜というようになった、と伝承されているようです。
名児山の右側を迂回して越えると田島というところに出ます。そこから宗像大社までわずかです。万葉集を代表する女流歌人【大伴坂上郎女おおとものさかのうえのいらつめ】が、大宰府から都にここを通って帰ったらしいのです。西暦730年頃のことです。
『大汝(おおなむち)少彦名(すくなひこな)の神こそは 名つ”け始(そ)めけめ 名のみを名児山と負ひて わが恋の千重の一重も慰めなくに』
『心がなごむという名前を持ちながら、私の恋心の千分の一さえも慰めてはくれない、しかも、その名前は大国主の神と少名彦名の二神がなずけたに違いない山なのだから、私の心の悩みを救ってくれてよいはずなのに』
以上、福津市の山々をご紹介いたしました。東京からおいでの切は、このあたりをご案内することになりますから、よろしくね!(なに、もういらない、笑)
umigamesanにしては上出来の文書!驚異!二日がかりの大作でした(笑)・・(ちゃんと読んでよね!)
でも今までで一番詳しく、勉強になりました。
名児山ですね。覚えました。
これが”口伝伝承”というものやな!