古墳二基の、時代による違いを面白く話してもらった。
前方後円墳②
お墓は円墳の下に位置しているから、①は、小高い円墳を見上げるようにして、四角い台地(前方部)に子孫が(多分次の王が)祭壇を設けてお祭りしたという形なのだという。
では、②は、というと、奥が円墳なのだが、あまり小高くなっていない。というよりも、四角い台地も小高くなっているという感じだ。(さらに、円墳部は、盗掘をうけた為に、中央部が陥没してさらに低くなっているから、どちらも同じ高さに見える)
これは、先の王を敬うあまり、現在の王が小さくみられるのを好まず、祭壇を高くして、よそ者のあなどりを避けようとしたのだろう。ということだった。
玄海灘を航行する船からは、この石造りの古墳が、日の光にきらきらと映えて、この国の威力を誇示して見せていただろうというお話である。
PS,富士イさん、お尋ねの古墳番号はこうです。(写真地図)
①は30号古墳を国道側から撮った写真です。
時代の後先が、この話とつじつまが合わないとしたら、ごめんなさい。
みんな私が、聞いた話をした人の責任です。(と、すぐに逃げ道を
さがす、賢い私。)
前方後円墳と名付けたのは、江戸時代の学者、蒲生君平という人で、『山陵志』という書物を著し、その中で使った言葉であると書かれています。
『こんなに近いのに古墳の形に流行があるのでしょうか?』という疑問はごもっともです。
古墳にはそこら辺の事情がなにも書いてありませんが、わかることもあるようです。
海から見える側だけ石積みにして、格好をつけて、内陸側は土で盛ってあったりなんてのもあるそうです。
□と○をくっつけたのが前方後円墳でしょうが,高い低いでいろいろパターンがあるようですね.しかもこんなに近い位置にあるのに.古墳の形にも流行があるのでしょうか.
もう一つ.
○がお墓で□が祭壇ならばどうして前円後方墳と云わないのだろう.ゴロの関係でしょうか.