海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

博多今昔?

2014年09月22日 | インポート

Dvc00027 景轍玄蘇というのは

河津隆業の次男です。

長男,隆家は宗像氏貞に

よって誅殺されます。

☆      ☆

玄蘇は、

西郷300町に

なまず禁食令を

出した河津興光の

孫ということに

なります。

☆       ☆        ☆

その西郷300町は、

立花道雪に側室として輿入れした(実は人質となった)、宗像氏貞の妹、

色姫の化粧料としてつけられたわけです。

結構、ややこしいのですが、戦国時代というのは、しょうがない

時代だったのですね。中東などは、まだ続いているわけですよね(^^;

Dvc00030

☆        ☆

戦国社会では、禅僧の

学問教養が大名達の

求めるところとなった

ようです。

土木、建築、農学、薬学

などの先端の学問です。

そして、広い人脈を利用して他の大名との連絡交渉の

使い僧となったようです。もちろん、寺院が漢語を学べる基地として、

データを有する拠点として一目おかれていたのでしょう。

武家が好んだのは臨済宗だったようです。


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