河津隆業の次男です。
長男,隆家は宗像氏貞に
よって誅殺されます。
☆ ☆
玄蘇は、
西郷300町に
なまず禁食令を
出した河津興光の
孫ということに
なります。
☆ ☆ ☆
その西郷300町は、
立花道雪に側室として輿入れした(実は人質となった)、宗像氏貞の妹、
色姫の化粧料としてつけられたわけです。
結構、ややこしいのですが、戦国時代というのは、しょうがない
時代だったのですね。中東などは、まだ続いているわけですよね(^^;
☆ ☆
戦国社会では、禅僧の
学問教養が大名達の
求めるところとなった
ようです。
土木、建築、農学、薬学
などの先端の学問です。
そして、広い人脈を利用して他の大名との連絡交渉の
使い僧となったようです。もちろん、寺院が漢語を学べる基地として、
データを有する拠点として一目おかれていたのでしょう。
武家が好んだのは臨済宗だったようです。
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